2025年12月5日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2025年5月19日

 それはともかく、問題なのは生徒たちに「再受講」を強いたことだ。手続きに不備があった学びたての先生の授業と、何十年も前に免許を取得していたが近年の改訂された指導要領については学んでいない教員の授業なら、むしろ前者の方が教育効果はあるだろう。もしも、免許に不備のあった先生の授業が信用できないのなら、生徒たちに到達度測定のテストなり聞き取りをすれば済む。

 そこを、免許に不備のあった先生の授業は無効だから再受講というのは全く不合理だ。生徒に時間のムダを強いる以上に、「この国は本質ではなく形式で動いている」ということを、身を持って体験させることになる。そのことが人材育成において、いかに危険かということを考えるべきだろう。

なぜ、製造業で世界に負けたか

 異常までの形式主義は経済活動にも影響を与えている。日本の製造業が衰退した主要な要因にはエネルギー供給の不安定や、環境規制の厳しさがある。もちろん、安全性と環境負荷の軽減というのは大切だ。けれども、がんじがらめの法規を作って杓子定規な運用を行った結果、ここまで国が貧しくなっては本末転倒だ。

 民生用のエレクトロニクス製品などもそうだ。スマホの製造については、世界各国の携帯キャリアやアプリ開発販売業者との調整、各国のレギュレーションとの整合性調整など、英語による膨大な技術情報のコミュニケーションが必要で、この点で脱落したのは残念だが納得がいく。ちなみに、スマホの部品や素材で日本が競争力を維持しているのは、メーカーとの仕様決定と納入という細いコミュニケーションで済むからだ。

 その一方で、世界で一人一台のスマホを使う現在、その関連機器ビジネスというのは巨大な産業となっている。しかしながら、一部のイヤホン販売を除くと、日本勢の存在感はない。

 例えば、全世界で大きなニーズのあるモバイルバッテリーについては、ほぼ100%中国勢が席巻している。バッテリーそのものにおいて、中国が巨大な生産拠点になっているのは仕方がないにしても、製品化において使用感や信頼度を乗せていくのは日本のお家芸だったはずだ。

 今や日本国内も含めたモバイルバッテリー事業において、日本のブランドの存在感はない。これは国内総生産(GDP)から考えると巨大な損失だと思える。思い返せば、2000年代当初に、リチウムイオン電池の品質がまだまだ不安定だった時期に、発火リスクのある製品をどう世界に紹介してゆくか、日本企業を中心に試行錯誤がされた時代があった。

 それがいつの間にか、日本企業はこの領域から撤退していた。スマホが世界を席巻し、周辺機器産業も巨大化していたが、そこに日本企業の存在感はなかった。コンプライアンスへの「過剰な怖れ」がビジネスチャンスを放棄させたといっても過言ではないであろう。


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