経緯の整理
4月22日のテロ事件以後、長年テロリストを訓練してきたパキスタンに対して、インドの怒りが爆発するのを見て、アメリカはかなり積極的な外交を展開してきた。バンス副大統領とルビオ国務長官は、印パ両国と繰り返し連絡を取り、両国の軍事衝突を最小限にとどめ、核戦争にならないよう努力してきた。
ただ、5月7日にインドがパキスタン国内のテロリスト訓練キャンプなどへミサイル攻撃を始めると、パキスタンがインドの戦闘機へミサイルを発射し、戦闘は双方軍同士のミサイル・ドローン発射合戦に発展した。パキスタンはインド国内の30以上の目標に300~400のドローンを発射するなど、かなり派手に弾薬を使い、インドもこれに応じたのである。
この派手に弾薬を使い合うというところは、停戦とのからみでポイントになる部分である。双方とも自国民に、政府が国民のために戦っていることを証明したいので、できるだけ空いっぱいにミサイルやドローンを飛ばし、国民に戦っていることをアピールしたい。そこで、本来であれば、30の目標を狙うより、より少数の目標に集中して使うべきミサイルやドローンを、色々なところに分散して発射して、国民に写真やビデオをとらせてアピールした。そのため、今回は、個人撮影の映像がSNSなどで非常に多く出たのだ。
まさに軍事的な成果より、政治的な成果を求める「インスタ映え戦争」とでもいうべき戦いになったわけである。ただ、このようにどんどんミサイルやドローンを撃ってしまうと、困ったことが起きる。弾薬がなくなるのだ。
この点について、パキスタンは深刻であった。パキスタンはすでにアフガニスタンから侵入するタリバンや、バルチスタンの独立を求める武装勢力と戦っていて、どんどん弾薬を使っている。しかも、破産寸前で、国際通貨基金(IMF)から金を借りている。この戦いが終わる直前に国際通貨基金からの支払いが決まったばかりだ。
しかも、パキスタンは、弾薬を少しとっておかないといけない。もし持っている弾薬をすべて使ってしまい、それをインドが知れば、パキスタンをとことんまで懲らしめてやろうとするかもしれない。少し弾薬が残っている間に、停戦しなければならない。
そうした事情から、パキスタンは急ぎ停戦しなければならなかった。そのための手段は核兵器である。
パキスタンが、5月10日、まさに停戦する日に、弾道ミサイルを撃ち始め、さらに核兵器使用を統括する最高意思決定機関の会議を招集するといった情報を流し始めた。核戦争をほうふつさせる情報を流す一方で、インド軍に電話をかけたわけである。
インドはもともと、パキスタン軍の施設を攻撃対象にしないで、あくまで対テロ戦争として始めた軍事作戦であるから、「ここで停戦」というわけである。
パキスタンが望むアメリカの関与
ここまでみてみると、アメリカの関与が目立ったのは、5月7日にインドの対テロ攻撃が始まる前までで、始まってからは、あまり目立っていない。アメリカの関与はなかったのだろうか。
もともと、インドはアメリカの関与を望んでいない。インドの軍事支出は、パキスタンの9倍で、印パの力関係は、圧倒的に強いインドと弱いパキスタン、というアンバランスなものだ。
だから、もし印パ2国間だけで話し合うなら、インドは、交渉で、力押しできる。他の国が関与するほうが不利になるから、アメリカの関与は望まないのである。
しかし、パキスタンからすると、逆だ。力関係でインドより弱いから、自らを強くするために、外国の後押しがほしい。パキスタンにとって最も友好国になるのは中国であるが、インドに対して説得力を持つとしたら、それはアメリカだ。だから、パキスタンはアメリカの関与を強く望む。おそらく、パキスタンは、核戦争をちらつかせながらインド軍に電話をかけた時、アメリカにもインド説得の支援を要請していたはずである。
