ただ何より避けたいのは、戦災樹木だと誰にも気づかれずに伐採されること、あるいは認知されていても、その存在価値を見出されずに、安易に撤去されてしまうことだ。
2023年には広島の被爆樹木が誤って伐採された。広島では、被爆樹木のリスト・マップの作成、被爆樹木2世の苗木を配布・育成するなど、積極的な活用が行われており、もちろん行政も関与している。それでも残念な事案が発生してしまった。
ならば、東京や他都市では……。戦災樹木の置かれている状況はより厳しい。第一に知名度が低い。そして多くは老木、それも傷を負った木だ。保全には、当然コストもかかる。正確な腐朽診断を待たず、その見た目から倒木が懸念され、伐採された戦災樹木もあるという。仮にその場で維持できない場合も、戦争遺産として移植・保全できれば良いのだが、菅野氏の話を聞く限り、自治体の協力を得るのは容易ではないようだ。
「都内各区の保護樹木指定の基準では、健全な樹木を対象にその大きさのみを対象としている点が最大の難点です。歴史的価値という新たな基準を設けるべきではないでしょうか」と指摘する。
なぜ「語り部」と言えるのか
そこまでして保全する必要があるのか、という声もあるだろう。たしかに我々よりはるかに寿命の長い“生き証人”ではあるが、物言わぬ存在。しかし菅野氏は「戦災樹木には語り部としての価値がある」と話す。
最も視覚的に分かりやすいのは、焼け焦げだ。炭化した幹肌は、空襲で猛烈な火が地を這ったことを容易に想像させる。何が起きたのかを辿れば、その木が戦災樹木であることを裏付ける証言・記録を残してくれた人たちの言葉に触れる。一本一本の戦災樹木には、一人一人の戦争体験が必ず付随するのだ。
戦災樹木が教えてくれるのは、それだけではない。都内23区を対象とした先の調査で、菅野氏らは戦災樹木の約6割が焼失エリアの縁辺部に偏在していることを示した。1923(大正12)年の関東大震災の証言記録には「樹木が焼け止まりになって人々を救った」という記載があるが、空襲においても樹木が「焼け止まり」になったことは十分に考えられる。
また、都内の戦災樹木の分布は皇居から見て東の城東エリアに多い。これも米軍の作戦と合致する。「文献によれば、戦後統治を思案するにあたり皇居周辺から西側の施設を残す算段であったと。戦災樹木の残存数は、まさに戦争被害の大きさに比例しています」と菅野氏。
「上野公園や浅草寺をはじめ、基本的には広い土地に多いですが、墨田区の飛木稲荷神社のように比較的、小面積でも戦災樹木が多い場所があります。神社の関係者によれば、戦時中は火除け地(建物疎開地)として隣接に緑地帯が設けられていたそうです。こうした現代の我々に想像のつかない戦時下の様子も戦災樹木の所在状況から垣間見ることができます」
面的な視点で捉えれば、一本一本の保全だけでなく、史跡としてエリアごと保全する意義も生じてくる。現在の都市の防火対策を見直すきっかけにもなるだろう。
菅野氏らは、戦災樹木の保全管理を適切に進めるための判断材料として、樹木の腐朽診断も行ってきた。科学的な測定結果から見えてきたのは、戦災樹木の驚異的な回復力だった。次回も菅野氏の研究成果を通じて、物言わぬ「語り部」の姿に迫っていく。
