2025年7月13日(日)

Wedge OPINION

2025年7月3日

 そして、その際になにかと引き合いに出されるのが高橋是清だ。戦前の昭和恐慌(世界恐慌)時に日銀による国債引き受けを始めて、積極財政を推進し、世界でもいち早く不況を脱したと。

 SNSでは「こんな時に高橋是清が財務大臣であれば!」などという書き込みも見られる。実は高橋是清は知名度こそ高いのだが、内実はあまり知られていない。

積極財政政策で失敗も
成功もした、高橋是清

 伝記作家の大家、小島直記は高橋が口述し秘書の上塚司が編纂した『高橋是清自伝』を福沢諭吉の『福翁自伝』と河上肇の『自叙伝』と並ぶ本邦最高の名作であると評している。高橋の人生は波瀾万丈、留学先の米国で奴隷になり、芸者の箱持ち(三味線担ぎ)になり、役人となって特許庁を創設しながら、ペルーの銀山投資で無一文。しかし、そこで終わらずに今度は日銀で非正規雇用から日銀副総裁へ、そして日露戦争では欧米の金融機関相手に交渉し日本公債の発行、すなわち日露戦争の戦費調達に成功する。

 だが、自伝はここで終わる。高橋はこの後も、日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣、再びの合計7度にわたる大蔵大臣と波瀾万丈の人生を送るのだが、この部分は自伝になく、上塚司が随筆などをまとめた『随想録』や『経済論』に頼らざるを得なくなり、高橋発の資料はとても少ない。

 先述の小島直記はこうも言っている。「自伝信ずべからず、他伝信ずべからず」。『高橋是清自伝』が出版されたのは高橋の政治家時代。これは当たり前のことだが、自伝や随筆集のすべてが真実というわけではない。相当話が盛られているというのが実際だろう。

 ここで高橋是清の財政政策についてあまり知られていないことを2つ取り上げてみる。

 高橋の積極財政が行き過ぎてバブルを生み、そして崩壊させた。第一次世界大戦末期の18年9月、寺内正毅首相が米騒動で退任した後、高橋は政友会原敬内閣の大蔵大臣になった。戦時中、欧州の参戦諸国は軍需品生産に傾斜、戦地から離れた日本は欧州に対する軍需物資や欧州の輸出先に対する民生品の輸出、海運などで巨額の外貨を稼いだ。それまでの日本は産業が未発達で輸入が多く、慢性的な外貨不足の上に日露戦争時の外債の返済に苦しんでいたので、第一次世界大戦は「大正の天佑」とも呼べる好況となった。

 そこで高橋は各方面からの制止にもかかわらず、金融緩和を続けて株式バブルを発生させてしまった。実態のない株式会社が多数起業された。その後、戦後の欧米諸国の復興もあり、20年2月には日本の株式市場は崩壊してしまう。


新着記事

»もっと見る