「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」は、米国の作家マーク・トウェインの格言だ。技術革新や人権の伸長など、社会環境が昔と異なる現代に同じことは起きないだろうが、それでも似たようなパターンや流れは再び現れるという意味だ。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、蒸気機関による交通革命や電信による通信革命、メディアの発達などにより第一次グローバリゼーションが起こると、リカードの比較優位の理論(各国は他国と比べて「より効率的に生産できるもの」に特化して貿易を行うことで、全体の生産性が向上し、すべての国が利益を得られる)のとおり、貿易が盛んになり世界経済は繁栄した。だが、その一方で先進国の内部ではグローバリゼーションによって富を享受する者と、労働集約的な職業では取り残される者に分かれて深刻な経済格差が発生した。これが1914年から始まった第一次世界大戦の開戦原因になったとの分析もある。
現代は冷戦終了後の安価になった航空料金、コンテナによる物流革命、インターネットの普及などによって貿易が盛んになり、第二次グローバリゼーションの時代とも呼ばれてきた。まさに歴史は韻を踏んでいるわけだが、そうした中で第一次と同様に先進国内では経済格差が生まれ、そうした不満が欧州における右傾化を促し、米国ではトランプ大統領を生み出したとも言える。
トランプ大統領は、成功した高学歴のエリート層や既存の政治体制を何かズルイことをしている破壊すべき既得権益者=「ディープステート(闇の政府)」と決めつけ、「米国第一主義(MAGA)」を唱えてこうした取り残された(と考えている)人々に対してアピールした。反グローバリゼーションである移民政策や貿易政策をはじめ、「移民が犬や猫などのペットを食べている」など虚実を混ぜながらSNSを駆使して、大衆の感情や不満に直接訴えた。まさにポピュリズムの典型例で、従って都合が悪い真実を報道しようとする既存のメディアも敵となる。
我が国においても「諸悪の根源は『財政均衡主義』を唱えて金を出さない財務省にある。そのせいでいつまで経っても日本の景気が回復しない」として、財務省前では「消費税廃止」「罪務省」などのプラカードを掲げた財務省解体デモが少しずつ拡大している。
積極財政で経済を活性化しろ、原資は増税ではなく国債発行でこれを賄い、さらには減税に回せと唱える。これに反対している財務官僚はエリートだ。米国における「ディープステート」のようなものとして捉えられるのだろう。会計係の財布の紐が固いのは本来望ましいことだ。
一部の政治家は票欲しさに財源の話は後回しにし、どんな形であれ減税を公約に入れたがる。前回の消費税増税があれほど強力だった第二次安倍晋三政権の下でも苦労したことを忘れているようだ。
そして、国債をもっと発行して財政政策に使えばよいと主張する者もいる。これまでだって国債残高は増えているが、いつまで経ってもインフレは起こらないし、財政破綻もしないではないか。国内債務であれば自国紙幣さえ刷れば返済は可能だ、というような意見も聞かれる。