2025年7月13日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年6月29日

(2025.2.9~5.9 89日間 総費用66万7000円〈航空券含む〉)

現在のマプチェ族の人口はどのくらいなのか

 アルゼンチンの総人口4700万人の3%が先住民であるが民族別の統計数字がなくマプチェ族は30万人くらいで主にアンデス山脈に居住。都市や町で生活しているマプチェ族は普段は民族衣装を着ていないので目立たない。

 他方でチリでは国勢調査によると総人口2100万人の約60万人がマプチェ族であり人口の3%を占めている。現在でもアウラカニア地方など集住している地域もある。

ウーバー・イーツのような料理宅配サービスをしているマプチェ族の青年

物乞いは先住民が大半、アルコール・ドラッグ依存症も

 3月5日。プエルト・ナタレスのホステルのオーナーによると、マプチェ族先住民は学校教育も満足に受けておらず、また白人雇用者側の差別や偏見もあり、安定した職業に就けないという。また白人社会の中で下層階級の生活をするなかで、マプチェ族の誇りとアイデンティティーを失い、アルコール依存症や麻薬中毒も多いようだ。生活手段がないので物乞いも多いという。

 3月13日。チリのパタゴニアの主要港町プエルト・モント。海岸沿いの遊歩道と公園は観光客や地元民で賑わっていた。観光案内所の裏で寒風を避けて、立ったままビール瓶をラッパ飲みしていた2人の先住民中年男。商店街の歩行者通路に座り込んで物売りしていた先住民夫婦。通行人は見向きもしないが、辛抱強く諦め顔で座っていた。スーパーマーケットの出口で買い物客に余った小銭を無心する先住民の老女。

 信号待ちしている車の窓ガラスを拭いてチップをもらう先住民若者2人組。町なかを走っているウーバー・イーツなどの宅配もベネズエラ難民と先住民の若者が多い。

プエルト・モントの海岸沿いのプロムナード。豪華クルーズ船はプロムナードの沖合に停泊する

 3月15日。プエルト・モントの海辺の公園で、夜8時発サンチアゴ行きのバスまで時間を潰そうと、ベンチで昼間から缶ビールを呑んでいた。次から次へと先住民の物乞いが来る。最初は貧相なオジサンだ。俺も金が無いと断ると退散。次のオバサンは香草らしきモノを買えと。ビールの缶から最後の一口を飲みながら酔っぱらいの演技をすると、こりゃ~ダメだと退散。次に同年代の老人が無心に来てしつこいので「俺は中国人だ」(Soy chino)と言ったら諦めた。ちなみに中国人はケチで小銭も惜しむという中国人像は世界中で共有されている。

 次に小学低学年の少女が無表情で金を出せと要求して片手で筆者の手を掴む。別の手には売り物の香草の束を持っている。外国人は金持ちだから金を出すべきとスペイン語でまくし立てるようだ。分からないフリをすると英語を話せるかと迫る。面倒なので「俺は中国人だ」と返答したら舌打ちして唾を吐いて立ち去った。わずか小一時間で4人の先住民から小銭を無心された。

マプチェ族の人権擁護を唱道する活動家女性が行方不明?

 3月15日。海岸沿いの遊歩道に標語が掲げられていた。「暴力を受けているマプチェの女性のために。あなた自身を守るために立ち上がりましょう」というような趣旨のマプチェ族の女性活動家の言葉であった。

プエルト・モントのプロムナードに掲げられていたフリア・チュニルの言葉と似顔絵

 女性活動家の似顔絵の横にフリア・チュニル(Julia Chunil)と書かれていた。

 3月26日。チリの太平洋に面した主要貿易港を擁するバルパライソの丘の上のホステル。冷蔵庫の扉に“尋ね人”のような顔写真付きのステッカーが貼られているのに気づいた。「フリア・チュニル、彼女は今いずこ」と書かれていた。

 ホステルの手伝いの女性に聞くと、マプチェ族の女性活動家その当人が行方不明(desaparecida)となっており、ニュースでも報道されているという。元学生運動リーダーで左派政党の現職チリ大統領ガブリエル・ボリッチも、行方不明事件の解決に全力を尽くすと声明しているらしい。

 手伝いの女性はスペインのマドリッドから旅行に来た学生。父親がチリ南部出身でマドリッドに移住した。父親の祖国のチリを知りたいと、1年間チリ各地を旅行している。そんな背景からチリの政治状況については一家言持っていた。

 彼女によると左派のボリッチ大統領に対して、大統領選挙後に改選した議会は圧倒的に右派が支配しており、治安悪化などの問題もあり、ボリッチ大統領自身の支持率は最低レベルであり、レームダック状態。ちなみに筆者は滞在中にボリッチ大統領を支持するというチリ人に会ったことがない。

 彼女は政治的背景がある行方不明事件に大統領が指示しても、警察当局が本気で捜査するのか疑問を感じているようだった。

バルパライソのホステルの冷蔵庫に貼られていたフリア・チュニルの人探しのステッカー

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