正常化への道 - 尾身発言が意味するもの
政府の混乱とは対照的に、社会は徐々にウイルスとの共存へと舵を切り始めた。度重なる緊急事態宣言、行動制限や営業自粛の効果はほとんど見られず、「コロナ疲れ」現象が、人々の行動様式を変化させた。
価値観が変化し、ワークライフバランスや家族との時間を重視する傾向が強まり、テレワークや地方移住への関心が高まったのだ。こうして、感染の波が継続する中でも、社会経済活動は回復基調を強め、観光庁の統計では、22年の国内旅行消費額は前年比で87%増と大幅に回復している。
その延長上に飛び出したのが、今回の尾身氏の発言であり、それは新たな科学的知見の暴露ではなく、とうの昔に明らかになっていた事実である。ということは、この発言の重要性は、その内容ではなく、日本のコロナ対策の中心人物が、公の電波に乗せて、明確に「感染予防」という物語に終止符を打ったことにある。
これは、一つの時代の終わりを告げる、公的な告白であり、政策転換の最終的な仕上げであった。そして、全国民を対象とした全額公費による接種は終了し、重症化リスクの高い65歳以上の高齢者と特定の基礎疾患を持つ人のみを対象とする、自己負担を原則とする制度が導入された。ここに、ワクチンはパンデミックを終わらせる魔法の杖ではなく、特定の集団のリスクを管理するための、恒常的な医療ツールとして位置づけられたのである。
この経験から得られる最大の教訓は、「謙虚さ」である。何が分かっていて、何が分かっていないのか、そして計画は事態の変化と共に変わりうるということを、政府は国民に正直に伝え続けなければならなかった。国民の信頼は極めて脆弱な存在であり、筋書きが偽りであったと証明されれば、その再構築は困難になるのだ。
国民への情報開示が必要なものは、ワクチンだけではない。マスク着用(「日本人の日本人による「マスク神話」はいつまで続く?」、「感染予防効果のないマスク 神話はいつ終わるのか?」、「マスクをすべきなの?見えてこない政府のリスク最適化」)、緊急事態宣言、営業自粛、外出自粛、3蜜回避(「阿波踊り「コロナ感染」 残念な日本メディアの報道姿勢」)などの効果はあったのか、Go Toキャンペーンやオリンピック開催は感染拡大をもたらしたのかなど、枚挙にいとまがない。
そして、この問いに答えるのが公的な「検証」だが、それがない。参考にすべきは、22年に英国政府は新型コロナ対応に関する大規模な公式調査を開始し、それが3年後の現在も継続していることだ。日本が経験した「コミュニケーションの袋小路」と検証不在という事実は、将来の危機に対する痛烈な警告として、記憶に刻まれるべきである。