「言葉から解放されたくて、決して嘘をつかない土と水と火の陶芸を始めました。私って、言葉におぼれきることがどうしてもできなくて、言葉と言葉が絶対追いつかない世界とを行き来しないと生きていけないタイプみたい。言葉にどっぷりつかりつつ、反動で言葉を超えたところに行ってまた帰る。その往復運動をずっと続けてきたような気がします」
恩田と言葉との出会いは、そこにとどまって遊ばせてくれるやさしさや文学的な美しさに酔わせてくれる幸せなものではなかったということだ。
「両親の絶え間ない確執とぶつけ合う醜い言葉の応酬が耐えられなかった。子どもの私は心が母の側にいたので、母が父にぶつける言葉に直接的に傷つき、自殺未遂を繰り返す母の狂言に振り回され、どこにも心が休まるところがなかったんです」
行き場をなくして、言葉の切っ先から逃れる先は、家の近くを流れる安倍川の川原だった。
「静岡の川は高い山々を背後に抱えて土砂の流出量が多いので、川原が広大で筋のように川が流れる。毎日微妙に違うし、ときには激変している。鴨長明を読まなくても、この世の有為転変を子ども心に感じ取っていました。そこで目にする自然は言葉にしようにも言葉にならない。言葉が追いつけない世界があると知りました」
川原に広がる言葉を超えた世界のほかに、もうひとつの逃避場所が言葉で満たされた書物だった。読書といっても、宿題用の課題図書読破や文学少女の本好きとは訳が違う。必死で本にしがみつくような切羽詰まった読書。13歳で親鸞(しんらん)の法語を記した『歎異抄(たんにしょう)』を手にしたという。
「当時はね、死ななくてすむように仏教書や思想書を読まないではいられなかったの」
忍び寄る自殺願望と生に踏みとどまりたい思いとを身の内に抱えた自家中毒状態と格闘するかのような多読乱読。しかし、いくら川原と書物に逃げ込んでも、現実には自分の居場所が見つからない。学校では明るく振る舞いながら、どこにも心が休まる場所がない。高1の時にはついに「今夜死のう」と決意したという。
「明日はこの教室に来ないんだなあと思って、2階の窓から校庭を見たら、ものすごく楽しそうに話している同級生たちがいて、その光景が奇跡のように美しく感じられた。“末期(まつご)の眼”を体験したような気がして、この世って私が思っているほど醜くないのかもしれない、もう少し人間の心を知ってみたいと思って、決行するのをとりあえず止めたんです」
居場所の見つからない現世からいなくなってしまうほうが楽という厭世気分を辛うじてやり過ごしたことは、再び安息の居場所を求めてのたうち回る日々の始まりでもある。