「給付は手厚く、負担は軽く」
この選択肢は実現可能か
ここで注目したいのが戸沢村と越谷市の石碑で使われている「相扶共済」という漢字である。これは「相互の助け合い」という意味の「相互扶助隣保共済」を略した内務省の造語であり、戦前の国保法の目的規定に使われていた。
この文言は58年、国保法が全面改正された際、「社会保障」という言葉に置き換わったが、筆者は「医療保険の基本的な考え方が凝縮されている」と考えている。つまり、相互の助け合いに基づく医療保険の重要性であり、この本質を今こそ、再考する必要があるのではないか。
例えば、昨年の総選挙と今年の参院選では、「手取りを増やすための社会保険料の抑制」がクローズアップされ、SNSを中心に「終末期の延命治療を削ればいい」などと極端な言説が見受けられた。確かに高齢化の進展や新薬の開発などで医療費は増加しており、これに伴って社会保険料も伸び続けているため、費用の抑制は喫緊の課題である。
だが、終末期の医療費は全体の3~4%程度に過ぎず、それほどの規模ではない。このため、大掛かりに社会保険料を減らそうとすれば、何らかの給付を削る必要があり、その結果は私たちの生活に影響を及ぼす。
例えば、高所得者を除き、70歳以上高齢者の患者負担は1~2割であり、現役世代の原則3割よりも低く抑えられている。そこで、高齢者の患者負担を引き上げれば、現役世代を中心に保険料の負担を減らせるが、高齢者に我慢を強いることになる。さらに、政府は、ドラッグストアなどで購入可能な市販薬と同成分や効能を持つものの、医師の診断を基にした処方箋が必要な「OCT類似薬」を保険給付から外すことを検討しようとしているが、これが実行されれば、原則3割で入手できていた患者は10割で薬を買うことになる。
つまり、医療費を削ろうとすると、何らかの形で国民に負担を求めることになる。医療費の見直しでは往々にして「給付は手厚く、負担は軽く」という判断に流れがちだが、医療保険の原点が相扶共済である以上、社会保険料の負担を低くしようと思うと、給付面で我慢しなければならない。国保発祥の地の石碑に刻まれた「相扶共済」の言葉は保険料の負担だけでなく、給付抑制に伴う不満も分かち合う必要性を示しているのではないだろうか。
