2025年12月6日(土)

日本の医療は誰のものか

2025年8月27日

 日本では国民全員が何らかの公的保険制度に入る「国民皆保険」が採用されている。この仕組みのおかげで、我々は急な病気やケガの治療費が必要になっても、原則3割に負担を抑えられるため、生活が不安定にならずに済んでいる。

国民健康保険の発祥地の一つである埼玉・越谷市役所前には「相扶共済」の文言が記載された石碑が建つ(TAKASHI MIHARA)

 だが、多くの国民が保険料を天引きで徴収されているためか、基本的な概念が理解されないまま、近年は「手取りを増やす」というスローガンの下、保険料や税金の国民負担ばかりに関心が集まっている印象も受ける。本稿では、医療保険制度の全体像を概観した上で、国民皆保険の根幹を支える国民健康保険(国保)の「秘史」を検討することで、公的医療保険制度の本質を考察する。

職業、年齢で細分化
複雑になった医療保険制度

 まず、日本の医療保険制度の全体像を概観すると、図表の通り、保険制度を運営する保険者は細分化されている。具体的には、主に大企業に勤める従業員と家族を対象にした「健康保険組合」、中小企業の従業員と家族をカバーする「全国健康保険協会」(協会けんぽ)、公務員や家族などが加入する「共済組合」、自営業者や農林水産従事者、退職後の高齢者で構成する「国民健康保険(国保)」(②)、75歳以上の高齢者などが入る「後期高齢者医療制度」(③)などに分かれる。このうち、健康保険組合と協会けんぽ、共済組合は「被用者保険」(①)と総称される。

 これほど細分化している理由は、日本の医療保険制度が少しずつ発展した歴史にある。最初に整備されたのは被用者保険であり、戦前の1922年に健康保険法が制定された。この時、主に念頭に置かれていたのは「女工」と呼ばれた若い女性労働者の健康問題である。

 当時、基幹産業だった紡績業では、女性労働者が過酷な環境で働き、「不治の病」だった結核に感染するなど健康を害していた。そこで、健康保険法の制定を通じて、労働者の健康保持に努めることにしたのである。その後、昭和戦前期にホワイトカラーの勤め人や家族に対象が広がり、被用者保険の原型が固まった。

 国民の約半数を占めていた農民は対象外だったが、国保が38年にスタートし、農民も公的医療保険の「網」に入ることになった。敗戦で医療保険制度が危機に瀕する場面もあったが、少しずつ再建が図られ、61年に国民皆保険が完成した。その後、高齢化などで医療費が増えると、負担が国保に集中したため、収入が高いなど相対的に豊かな層が多い被用者保険側の負担を増やす「財政調整」が80年代から実施された。

 現在の仕組みは2008年から始まり、65歳から74歳の医療費は被用者保険から国保への財政調整でカバーされることになった。さらに、75歳以上の医療費は後期高齢者医療制度で管理し、全世代の保険料と国・自治体からの税金で支え合う仕組みが整備された。その結果、負担と給付の関係は複雑になった。


新着記事

»もっと見る