2025年12月5日(金)

日本の医療は誰のものか

2025年8月22日

 日本の保険診療では、診療行為の一つひとつに厚生労働大臣が定めた診療報酬点数(診療単価)が決められ、それらの診療報酬点数と診療行為の件数の掛け算の総額が保険医療機関の診療の報酬となる。このような支払い方式を「出来高払い」と呼び、診療行為の件数を一定と置けば、医療機関に入る報酬は診療行為の点数に比例する。

(SvetaZi/GETTY IMAGES)

 医療機関の経営を大きく左右するこの診療報酬は2年に一度、改定が行われており、毎回、「医療費の抑制を求める財務省」VS「報酬の引き上げを求める医療業界」という構図で攻防が繰り広げられる。

 今年も2026年度改定に向けて秋から議論が本格化するが、「物価高」が国民的な関心となる中、医療業界では診療所から大学病院まで、すでに各経営者団体から、医療機関の存続危機であるとの問題提起がされており、彼らに有利な流れが見られる。例えば、予算要求の下地でもある「骨太の方針」(2025年6月13日閣議決定)では「医療・介護・障害福祉等の公定価格の分野の賃上げ、経営の安定、離職防止、人材確保がしっかり図られるよう、コストカット型からの転換を明確に図る必要がある」と明記されている。

 医療機関の経営危機への対策はもちろん必要だ。しかし「物価高だから何が何でも診療報酬を上げる」というのが最優先でよいのだろうか? 必要でも、そうでなくとも、診療報酬単価が上がれば、すべての医療機関の経営危機を緩和しうる。一方で、必要性が高い医療機関のみを重点的かつ持続的に支援するという調整は今の制度設計では難しい。

 そもそも経営危機の原因は物価高だけではない。医療機関の収入は「診療報酬単価」×「診療件数」であり、真の問題は、その件数を決める母体としての人口が今後頭打ちになることだ。

 医療機関にとって、人口減少局面では、件数を取りこぼさないことが重要となる。外来では定期的に受診を促し、検査もくまなく行い、入院においては、病床は極力埋め、入院日数は単価が切り下げられないぎりぎりまで長くする。そして来院する救急の患者を断らず、軽症でも入院してもらうことが重要になる。

 これは、患者個人にとっては、ある意味〝贅沢な〟医療サービスである。しかし、全国民が同じように贅沢に利用するとなると手放しには歓迎できまい。贅沢ということは、裏を返せば〝無駄も多い〟ということでもある。国民全体の医療サービスの消費が、無駄を温存したまま、国民の稼ぎの身の丈に合わないほど拡大すれば、国の債務が膨張し、国の通貨の信認に関わる影響がある。また、医療機関にとっても、地域の中で少なくなる患者のパイを奪い合うような消耗戦を繰り広げていては、結局〝共倒れ〟になってしまう。


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