戦災樹木の内側に迫る理由
「木は擬人化しやすい対象ですが、ただ感情面に訴えるだけでなく、継続的な関心を持ってもらうためにも、科学的に樹木の姿を捉えたいと考えました」
そう話すのは、日本大学生物資源科学部 アグリサイエンス学科助教の根岸尚代さんだ。根岸さんは、明治大学農学部の菅野博貢准教授と共に、大学院生の頃から戦災樹木の調査研究を進めてきた。
「人間の寿命を超えて長く生きる樹木には、地域全体の歴史を内包した“生きた遺産”という側面があります。とりわけ、戦争体験者が減りゆく中で“最後の生き証人”となりうるのが、戦災樹木です。今なお生き続けていることに大きな価値があると思います」
だが、保全を巡っては一筋縄にはいかない現実がある。戦災樹木の多くは社寺地にあるが、倒木の危険があるとして近年、伐採した神社もある。予期せぬ倒木で人的被害を出すわけにもいかず、安全面を考慮するのは致し方ないが、過剰な心配から伐採されるケースもある。
「戦災樹木の姿は、空襲の苛烈さを伝えるものですが、それゆえに外見だけで倒木の危険性があると判断されてしまうことも少なくありません。焼け焦げや、亀裂、空洞といった戦災樹木の外観的な特徴が、樹木の健全度にどの程度、影響を与えているのか。今後どのように扱うのが適切なのか。まずは戦災樹木の状態をなるべく正確に把握し、その情報を管理者と共有することを目指しました」
さらにコスト面についても、次のように話す。
「一般に樹木が大きいほど、そして貴重木として丁寧に扱おうとするほど、維持管理には相応の費用がかかります。ただその費用も、定期的に剪定をする等、
そこで保全に向けた判断材料を得る手段として、根岸さんが着目したのが、樹木を切らずに内部の状態を調べられる技術だ。大学を卒業後、勤務していた造園会社で腐朽診断の講習を受けた際に「これを戦災樹木に適用したい」と思い至ったという。
音波による腐朽診断
診断に用いられたのは、音響トモグラフィーという技術だ。高周波の音波を当て、音波の伝わる速度や減衰率を測定することで、構造物などの内部構造を可視化する。樹木の場合、腐って柔らかい部分は、健全な硬い部分よりも伝播するスピードが遅くなる。診断装置を使うには、表面に針状のセンサーを2-3mm差し込む必要があるが、樹木になるべく負担をかけずに内部を調べる方法としては、現状これがベストと判断された。
ちなみに「戦災樹木」であるからには、戦前から存在することが大前提となるが、樹齢の推定が難しい。年輪を数えるために木を切るわけにもいかず、幹周の長さから推測するしかない。だが大きなダメージを受けた木では成長速度が著しく低下し、樹齢の割に小ぶりな木も珍しくないという。だからこそ「戦災による損傷」と裏付ける証言・記録が欠かせない。
さて、最初の事例となったのは、2021年、東京都墨田区の飛木稲荷神社で11本の戦災樹木を対象に行われた調査だ※1。樹種は全てイチョウで、樹齢が推定500~600年の御神木も含まれる。計測は11本の木に対し、それぞれ地上0.3m、0.9m、1.5mの最低3カ所ずつ行われ、計35の断面図が得られた。そのうち10断面で腐朽・空洞率が算出された。
