過剰医療の問題もある。井伊氏は「日本人は他の国に比べて、がん検診や健診をはじめ、非常に多くの検査や投薬を受けている。日本の医療の支払い制度は一部の入院医療などを除いて出来高払いのため、医療機関が必要以上に検査するインセンティブを持つ。例えば、がん検診は〝有益性〟は強調されるが〝害〟については説明されない。決して検診そのものを否定しているわけではないが、無症状の人を対象にするがん検診の中には、治療の必要のない〝異常〟を見つけてしまう場合がある。患者の方も過剰な検査や投薬に慣れていて、それがないと不満に感じる人も多い」と指摘する。
図2は、がん検診の評価方法として用いられる「発見率」と「生存率」の考え方を示したものである。日本人には、「がんの早期発見・早期治療=善」のイメージが強い。
だが、井伊氏によると、発見率や生存率が向上してもがんによる死亡者数は変わらない場合もあるという。例えば、〈①〉のとおり、早期に診断されれば生存率は必ず上がるというリードタイム・バイアスがある。「検診あり」の場合、臨床経過や予後がまったく改善しなくても、より早期に診断されるだけで5年生存率は改善してしまうのである。
過剰診断バイアスもある。がんには、「進行性のがん」と、進行が遅く無症状で、余命に影響することがない「非進行性のがん」がある。現代の医学では、がん検診でその区別をすることはできないという。
だが、〈②〉の「検診あり」の場合、発見率が向上し、生存率も「検診なし」の場合に比べて81%になるが、結果として死亡者数560人は変わらない。つまり、発見率や生存率という評価方法が金科玉条ではないということだ。しかも、それによって、治療の必要のない異常が見つかり、不安に駆られた患者が過度に受診し、医療費が増大する結果を招きかねない。心理的ストレスやさらなる検査による身体的負担、放射線による被曝などデメリットも多い。
井伊氏はこう指摘する。
「日本人はヘルスケア全般と疾病予防や健康維持・増進におけるヘルスリテラシーが国際的にも低いと指摘されている。日本人は健康や医療情報に関心を持つ人が多い。国は責任を持って、国民のヘルスリテラシーを向上させる仕組みが必要である。地域住民はより健康になれるし無駄な医療も減らすことが期待できる。
しかし、日本の現行制度では、住民のヘルスリテラシーが向上すると医療機関の経営が悪化してしまう。支払い制度の見直しも必要になる」
相互扶助が機能するには
何十年もの積み重ねが必要
国民皆保険制度がなかった時代、日本人は医療を、そして「いのち(生命)」というものをどのように捉えていたのか。文化人類学者で、日本における医療人類学研究の先駆者である、お茶の水女子大学名誉教授の波平恵美子氏はこう語る。
「1億2000万人もの国民が『いつでも、誰でも、どこでも』同じ水準の医療を受けられる国は世界に類例がなく、日本の医療制度は誇りにしてよいものである。しかし、そうであるがゆえに、かつてに比べて、『いのち』というものの総体を見る目が私たちの中から失われている」
波平氏は1980年代、福島県との県境に近い新潟県の山村で、国民皆保険制度が導入される以前の時代、村落(ムラ)の人々がどのようにして病人を看病していたのか、調査を行ったことがある。当時、ムラでは急病人が出ると、病人を戸板に載せて20キロ・メートルの山道を歩いて街の病院まで運んでいたという。
一方で、長い間病臥している人や老人の場合は、容態が悪化しても医師の診察を受けることを家族は諦めて、生命を見限ったという。

