医療費が全額自己負担の時代である。病気によって家族の中で労働力が一人確保できなくなり、現金に替えられる立ち木や山林を売らないと医療費を捻出できないような場合、現金収入が少ない農家では、たちまち生活が困窮してしまう。
「それは、ムラの人々にとって『一人の生命か、それとも残りの家族全員の生命か』という重たい決断だった。人々は病気になった自分の子供や親の生命が消えていくのをじっと見据える経験をした。つまり、自分や家族の生活全体を考え、『いのち』の全体を熟慮していた。しかも、いくら悩んでも『これが正しい』という明確な答えが出せないままの決断だったと推測できる」(同)
事実、現代と違い、かつての人々にとって、医療費は大変な負担であった。立川昭二『日本人の病歴』(中公新書)によると、江戸時代には、親の医療費を出すために「孝行娘が身を売るという悲劇がくりかえされ」「当時の医療費は娘の生身にひとしかった」という。そして「大病にかかると、庶民は一族離散、一家破産の憂きめにあわなければならなかった」と記されている。
かつてに比べ、私たちは、「金の切れ目が生命の切れ目」(波平氏)というリスクが格段に減った社会を生きている。そんな中、ある現実を忘れているのではないか。
「現代を生きる私たちは、医療はすべてお金で支えられているということを見失っている。どこかから湯水のようにお金が湧いてきて、自分にとって必要な医療は、誰かがどこかで賄ってくれるということに慣れてしまった。その結果、日本の医療制度は足元から崩れ始めている。このままの状況では、救えるはずの命も救えなくなる。政府は『もうお手上げ』『解決策を示せない』ということでは済まされない」(同)
私たちは何から始めるべきなのか。すべての解決策にはならないが、そのヒントは、戸板で運んだムラの人々の姿そのものにあるのではないかと私は思う。波平氏は言う。
「相互扶助は突然湧いてくるものではない。機能するには、何十年もの積み重ねが必要である。自分も助けてもらいたいから人も助けるという精神が必要だ。その意味で、ムラの人々は、『保険』をかけていた。『見舞い』という行為も、予め見舞っておくことで、将来自分がそうなった時の『保険』行為であり、『病気を分け持つ』という考えでもある。
日本人は、総意として国民皆保険を選んだ。それは、『経済的格差が個人の生命の格差であってはならない』という選択をしたのであり、その精神は、これからも〝伝承〟し続けていく必要がある」
日本の医療は一枚の織物
責任を持って支え合いを
江戸時代、大坂で適塾を開設し、医師として、そして、福沢諭吉ら日本の近代化に貢献した若者たちを教育した緒方洪庵。彼は、自分自身と弟子への戒めとして、訓戒を書いており、司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』(朝日出版社)の中でこう紹介されている。
「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ」
また、日本近代医学の先駆者たちを描いた吉村昭『日本医家伝』(中公文庫)には、日本で初めて遺体の腑分(解剖)を実見した山脇東洋、杉田玄白の陰に隠れているものの『解体新書』の翻訳をけん引した前野良沢、天然痘から人々を救うため種痘(予防接種)の普及に努めた笠原良策、夫に淋病を移されながらも日本で最初の女性医師になった萩野吟子などが紹介されている。彼らの苦悩と情熱、そして多くの尊い「いのち(生命)」の犠牲の上に、日本の近代医学の基礎は築かれ、発展してきたことを忘れてはならない。
前出の波平氏はこう問いかける。
「『いのち』に限りがある以上、あらゆるものには限りがある。その現実を提示し、国民一人ひとりが納得できる形で政策として示すことが国の責務だ。日本の医療制度は、緻密に織り上げられた一枚の織物のような存在である。一本の糸が切れただけで、均衡が崩れ、制度の根幹が揺らぐ。国はもちろんのこと、自治体、首長、医療関係者、そして国民一人ひとりが、日本の医療制度の現状、課題について学び、責任をもって支え合うことが不可欠である」
日本の医療は誰のものか──。全国民が当事者であるからこそ、私たちは波平氏の問いかけに込められた意味を噛みしめる必要がある。
