「現実に対して本当にそうなのか?」という姿勢や問いかけは「科学」にとっても非常に重要です。学生にこの本を贈るのは「当たり前を疑え」という私なりのメッセージなのです。
研究者でも、一般の社会人でも、「これ」と決めつけてしまうと可能性の幅を狭めてしまうことになります。SF作品は、プラクティカルな実用書と違い、読み進めながら様々な可能性を追求できるところに魅力があります。
SFと科学は、北極と南極のように、正反対のものと思われがちです。片方は完全に空想、もう片方は現実しか扱わないと思われている。しかし、私にしてみれば、SFと科学は一緒なんです。もちろん、違いはあります。SFは証明・実証しなくてもいい反面、科学はそれこそが重要だからです。でも「根っこ」の部分では一緒なんです。
私は1958年生まれです。幼い頃から「LEGO」が大好きで、「タミヤ模型」にも夢中になりました。その後、中学生の頃に、全盛期のディックの作品に出会いました。
先ほどの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が発表されたのが68年です。
世界はみんなが思っているほど
確実なものではない
ディックの作品の一貫したテーマは、「世界はみんなが思っているほど確実なものではない」ということ。みんながそうだと思っていても、本当かどうか分からない。彼はこれにずっとこだわっていた。科学をやってきた私もディックの問いには大いに共感します。それこそが新しい発見を生むからです。
だから日々の生活でも、会社の中でも、「当たり前じゃないですか」「常識でしょ」とかいうセリフに出会ったら気をつけた方がいい。「いつもそうだから」という、その「いつも」は何なのでしょうか?
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、いま喋ってる相手がアンドロイドなのか人間なのか、分からない。しかし、すでに私たちはそのことを体験済みです。AIがまさにそうです。
「空想か? 科学か?」と言いますが、科学(研究)の世界でも、最初に仮説を立てることは、空想に近いかもしれません。むしろ、その空想を楽しむことで、より良い仮説を立てることができると思います。
SFは確かにすごい。ただし、「事実は小説よりも奇なり」という言葉が示す通り、人間が空想できることには限界があります。だから私はSF作家になれたとしても、科学者の道を選びます。
現実世界の方が、もっと面白いからです。思いもよらないことが起きて、そこに終わりはありません。科学は仮説を立てて「真実らしい」ことに近づいていく営みであり「絶対的な真実」は存在しない。つまり、終わりがないのです。
