「キュリオシティ・ドリブン」か
「ゴール・ドリブン」か
いま気になっているのが、「ゴール・ドリブン」、つまり全てのことが「目標ありき」の方に傾きすぎているように感じることです。
私はこれまで、「キュリオシティ・ドリブン」一筋で生きてきたと思います。その時、面白いと思えなければ何もできないし、面白いと思ったら、蟻の巣を4時間でも5時間でもずっと見ている子どもでした。だけど、つまらない授業になると、もう5秒で寝ちゃうわけです。
科学にも2種類あって、工学や医学は「ゴール・ドリブン」です。ロケットを飛ばそう、癌を治そうはゴールです。私は医学部にいても、そういうことには向いてない。
では、なぜ、私みたいな人でも医学部にいる意味があるのかというと、「キュリオシティ・ドリブン」の方が、成果が大きいからです。イノベーションは、「キュリオシティ・ドリブン」からでなければ起きないと思います。
「ゴール・ドリブン」で目標を決めて取り組むことは日本人が得意なスタイルです。もちろん、それはそれで素晴らしいのですが、それだけでは「想像の域」を超えることはできません。
一方、「キュリオシティ・ドリブン」では、明確なゴールを設けず、純粋に「なぜ?」を探求するものだから、どこへでも行ける。
「ゴール・ドリブン」で進めていると、予想外のことが起こっていても気づかない、あるいは、失敗だとみなして捨ててしまう可能性があります。極論すれば、ノーベル賞級の発見のほとんどが「キュリオシティ・ドリブン」から生まれているのではないでしょうか。
とはいえ、これは大隅先生ともよく話すのですが「もし、今の時代に私たちが若手研究者だったら、潰されているかもしれませんね」と。税金を使っている以上、「毎年成果を出せ」という圧力がどんどん強くなっているからです。それも重要な視点ですが、そうすると「ゴールのない研究」は成立しなくなります。
子どもの世界も同様です。親や周囲が「目標を決めなさい」「何がやりたいのか、はっきりさせなさい」と繰り返す姿を見ていると、子どもたちがかわいそうに見えます。それが向いているなら東京大学を目指せば良いのですが、そうでない子どももいてもいいはずです。
見方を変えれば、日本企業にも同様のことがいえるのではないでしょうか。ゴールを決め、「絶対にうまくいく!」ということにしか投資しないという姿勢を続けることが、果たして正解なのでしょうか。
理系の女子が少ないことも「ゴール・ドリブン」が影響しているように思えます。周囲が「女性はこうあるべき」という「ゴール」を押し付けているのではないでしょうか。
私は真の意味での女性活躍は、日本に残された数少ない〝伸びしろ〟だと思っています。科学も含めて日本社会の中で、女性が持っている力を最大限発揮できるようにするためには、古い慣習を捨てて、新しい仕組みを構築する必要があると思います。
繰り返しになりますが、私は決して「ゴール・ドリブン」が悪いということを言いたいのではありません。それが「至上主義」になると問題ではないかということを伝えたいのです。「ゴール」が全てと思うと、人生はつまらないものになってしまいますから。(談)
