2025年12月5日(金)

未来を拓く「SF思考」

2025年11月4日

 そして、2006年から連載が始まった『三体』はSF小説としては異例の大ヒットを記録。難解な科学理論をツールに、人類と宇宙の危機を描いたスケールの大きさが大人の読者を魅了した。「科普」とは異なる、本格SF=「科幻」はやがて多くの中国人に共有されていく。

 決定的な転換点となったのが、冒頭に述べた通り、15年に『三体』英訳版がSF文学賞の最高峰であるヒューゴー賞を受賞したことだ。全世界でヒットし、米オバマ元大統領やフェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグなど多くの愛読者が生まれた。

 この人気に目を付けたのが中国共産党だ。「世界の工場」に欠けているのはソフトパワーであり、世界に認められた知的財産は何よりも欲していたピースである。

 かくして、中国のSFは「精神汚染」の源という不名誉な地位から一転、中国を代表するコンテンツ産業としての地位を獲得する。中央政府、地方政府は競い合うようにSF支援政策を打ち出した(上図)。

国策と化した中国SFと
その裏にある潜在的な対立

 中国で新たな産業が台頭すると、そこには必ず〝国策〟だとの目が向けられる。一党独裁の政権の支援によって生み出されたものであり、他国から見るとアンフェアな競争だ、と。だが、現実は必ずしもそうではない。国の枠外で育った産業を、国が後から乗っかって支援する。結果、あたかも政府が育てたかのような物語が生まれる。SFがその好例だ。

高口さんおすすめのSF作品
折りたたみ北京
中原尚哉・他(訳)、 ケン・リュウ(編)
ハヤカワ文庫SF
1100円(税込)

 もっとも、政府お墨付きの文化産業として認定を受けたからといって、それで安泰とは限らない。中国共産党はきわめて父権主義的だ。国民の文化、思想、道徳に積極的に介入し、より良き人になるよう誘導する。また、中国の未来がより明るく輝かしいものであるとのプロパガンダにも積極的だ。

 近年のSFは単純なテクノロジー万能主義は少なく、技術がもたらす課題やディストピアを描くものが多い。中国も例外ではない。劉慈欣も「全盛期の中国SFの大半を支えていた科学に対する楽観主義がほぼ完全に消滅してしまったことである」(『折りたたみ北京』〈ハヤカワ文庫SF〉内のエッセー「ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の地球:三体と中国SF」より)と指摘し、中国SFもまた、この世界的潮流に棹さしていることを認めている。ゆえに「国策」でありながらも、国家の方針と矛盾する可能性が常に秘められているといえよう。

 中国のSF作家もこのことに自覚的だ。以前、筆者が劉慈欣氏に書簡インタビューを行った際に、彼は「SFは娯楽である」と繰り返し強調し、慎重に防御線を張っていた。『三体』の英訳など中国SFを英語圏に紹介した第一人者であるSF作家のケン・リュウは、中国SFを政治批判の文脈で読み解くのは西側諸国の読者にとっては至極当然としつつも、「そのような誘惑に抵抗していただきたい」「中国だけではなく、人類全体について言葉を発して」いると述べ、政治的な読み解きを戒めた(前掲『折りたたみ北京』)。


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