政府との対立リスクを理解した上でぎりぎりを攻める。「擦辺球」(エッジボール、卓球で台の角にあたったボールの得点が認められること。転じて政治的に許されるきわどい一線の言論を指す中国語)が続く中国SFだが、いつか政府の不安定な関係に破綻が生じるのではないかとの危惧をぬぐい去ることはできない。
一足先に規制対象となったのがBL(ボーイズラブ、男性同性愛を題材としたジャンル)だ。ネット小説を中心に多数の小説が生まれ、その中の優れた作品はドラマ化されて海外にも輸出された。中国共産党の機関紙『人民日報』がそうしたドラマを称賛するなど政府との蜜月期があったが、現在では一転して規制対象となり、逮捕された作家もいる。
日本に不足しているのは?
中国SFから得られる示唆
ひたすらに技術がもたらす明るい未来を強調する中国政府と、テクノロジー万能主義に背を向けた中国SFという対比がある一方で、両者には通底する要素もあると感じている。それが「技術への信頼」だ。
テクノロジーの弊害や新たな社会課題にフォーカスされる一方で、それでもなお技術が未来を切り拓いてくれるという信頼が中国SFには共存しているのではないか。『三体』では技術の進歩が宇宙人の侵略という危機を招いた。未知なるフロンティアである宇宙は恐ろしいまでに残酷なルールに支配され、猜疑心と殺意に満ち満ちている。だが、最後に人類がわずかな希望を得る手段もまた技術であった。
課題が山積する現実を直視しながらも、「技術が未来を切り拓く」という信頼は現実の中国とも重なって見える。
「明日は今日よりも良くなる」、日本の高度経済成長期を舞台とした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の感覚は日本からは失われて久しいものだが、中国では現在進行形で続いている。そうしたムードが作品にも反映されている。
未来を構想する力を「SF力」とするならば、今の日本に不足しているのは想像力というよりも「技術への信頼」なのではないか。
その再生には何が必要なのだろうか。実感できる社会の変化、政府の指針、それとも圧倒的な影響力を持つSF作品……。どこか一つに突破口が生まれて正の循環が始まることを期待したい。抑圧と制約の中から中国SFが輝きを放ったように、日本が社会を取り巻く停滞感をバネにSF的構想力を解き放つことを願ってやまない。
