インフラとは、日本の「国土」の一部であり、私たちの暮らしを支える重要な「機能」の一つである──。
これは、エネルギーや水道、建設などを取材する中で、私なりにたどり着いた一つの結論である。本特集の取材中、インフラに対する熱い思いを持つ人に巡り合うことができた。平安神宮や南禅寺に程近い岡崎に本社を構える岡野組会長の岡野益巳さん(80歳)である。社屋前には琵琶湖疏水が流れている。
岡野さんは取材の冒頭、「京都のことなんて、わしゃ、なんも知らんがな」と謙遜しつつも、琵琶湖疏水のことに触れた途端、席を立ち、80頁を超える資料の束を携えて戻ってきた。そして、こう述べた。
「京都と大津をつなぐ琵琶湖疏水は、京都の近代化に貢献し、現代の京都の礎をつくったものであると言っても過言ではない」
岡野組は初代の岡野傅三郎が1865(慶応元)年に創業した。そしてこの琵琶湖疏水こそ、岡野組の数ある施工実績の中でも特筆すべき工事であり、原点でもある。
明治維新後の東京遷都により、京都の人口は3分の1にまで減少し、衰退の危機に直面した。その打開策として、第3代京都府知事・北垣国道の主導のもと、当時の府予算2年分の工事費を投じて90(明治23)年に完成したのが琵琶湖疏水である。しかも設計から施工に至るまで、すべて日本人の手によって成し遂げられた、近代土木の先駆けとなる壮大なプロジェクトだった。岡野さんは「この水を育んでいる滋賀県民に感謝の気持ちを忘れてはならない」と言い、こう続けた。
「130年以上たった今日においても、疏水には脈々と水が流れ、京都を育む土壌に注がれている。京都の産業・企業の発展は疏水によって実を結び、花が咲き、受け継がれ、京都140万市民を潤し続けてくれている。我々は、先人たちの偉業に感謝せなあかん」
難事業を乗り越えた岡野組のDNAは脈々と受け継がれ、現在では、上下水道などのインフラ工事や地下鉄工事、大規模建築工事など多種多様な工事を受注し、京都のまちづくりをけん引している。
