49日間の旅行中に唯一遭遇したベトナム共産党員は中学校の女性校長
11月25日。ニンビン市郊外のタムコックは小川や湖や水田が広がる水郷である。湖沼の周囲には“陸のハロン湾”と称される石灰岩の奇岩が連なる。水郷を足漕ぎボートで巡るボートクルーズを目当てに世界中からタムコックに観光客が訪れる。
タムコックの街外れにある中学校を訪問したら、中年女性の校長先生が応対してくれて、現代ベトナムの公教育の現状について学ぶことができた。中学校の向かいにフランス独立戦争、米国とのベトナム戦争、中国ベトナム戦争で亡くなった地元出身の戦没者慰霊碑があった。女性校長の父親の兄弟2人はベトナム戦争で戦死して慰霊碑に祀られていた。
彼女は現在ニンビン市内に夫と2人暮らし。息子2人はハノイ大学に入学している。ちなみにハノイ大学(=ベトナム国家大学ハノイ校)はベトナムの最高学府である。長男は理科系で卒業後は政府機関に勤務。次男は経済学部に在学中。ベトナム社会では折り紙付きのエリートである。
女性校長は1975年生れの50歳。共産党員か尋ねると、頷いて懐から赤い党員証を出して見せてくれた。表はホーチミンの肖像、裏面に氏名、生年月日、入党年月日、党員番号などが記載されている。ICカードになっておりクレジットカードのような外観だ。
彼女は24歳の時に入党した古参の共産党員だ。ちなみに夫も息子2人も共産党員という。北ベトナム出身の典型的なエリート共産党員一家のように思われた。ベトナム現代史の授業の意義を語る彼女からは、ベトナム共産党員としての歴史観と揺るぎない矜持を感じた。
国営食品会社の元社員が語る企業幹部の共産党員
12月7日。ニャチャンのホステルで、ハノイ近郊出身35歳の独身バックパッカー女子リンと遭遇。リンは大学で経営学を学びハノイに本社を置く大手国営食品会社に長年勤務してきた。数カ月前に心機一転退職して1年間の予定で国内外を旅行する予定という。リンは将来ネット販売の事業を起業したいと希望を語った。
リンは流暢ではないが正確な英語を話す。聞いてみると仕事をしながらOJTで学習したとのこと。当該国営食品会社は外資とも提携しており海外出張では日本も訪問したという。クッキー、お菓子類を日本企業の要求仕様に合わせて生産して日本向けに輸出しているようだ。
この国営食品会社では、経営者や幹部職員はほぼ共産党員で占められているが、彼らは民間企業の経営管理層と同様に国内外での市場競争力向上のため熱心に仕事をしており、概して優秀であるとリンは評価した。やはりベトナムでも公務員や国営企業には多数の共産党員がいるのだろう。筆者の抱いている中国の国営企業を運営している共産党員像と一致している。
北ベトナム出身インテリ女性の南北融和・南北格差の認識とは
リンの伯父はベトナム戦争で戦死しているが、リン自身は世代的にベトナム戦争について歴史の授業で習った程度の認識しかないという。
リンによると現在でも南北の人々は互いにネット上で悪口を言い合っているようだ。しかし、そうした地域的な感情は、どこの国でも多かれ少なかれあるのではないかとリンは指摘した。確かに日本でも明治維新後50年経っても薩摩・長州と会津や旧東北列藩出身者の間には感情的な溝があったことは否めないであろう。
他方で台風や洪水などの自然災害では、南北住民が一体となって被災者を支援しているとリンは強調した。
筆者が南ベトナム出身者(ダナンのチャン氏)から聞いた話として「南ベトナムは南北統一前には経済的に北ベトナムよりも豊かであったが、南北統一後にハノイ共産党政府は北ベトナムへのインフラ投資を優先したため南ベトナムは発展が遅れた」というハノイ政府批判をリンに紹介して彼女の見解を聞いてみた。
リンは「旧南ベトナムが豊かであったというのは、サイゴンの一部の金持ちや農村の大地主が贅沢な暮らしをしていただけ。ハノイ政府はサイゴンの地下鉄やフーコック島と本土を結ぶ長大橋を建設するなど南部の発展にも公平に予算分配している」と反論した。
ハノイ近郊出身のリンはやはり比較的ハノイ政府擁護の立ち位置のように思えた。それはやはり育った地域的環境が影響しているのだろうと想像した。
以上 次回(下)に続く
