目的や人数によって空間の広さを障子や襖の取り外しで調整
15世紀半ばになると、武家屋敷などで作り付けの建具(床の間、違い棚、書院など)を備えた書院造が生まれ、複数の部屋を繋げる続き間も出現した。
そうした流れは村の庄屋たちにも採り入れられ、やがて17世紀になると、一般の民家でも引き違い建具の居間や座敷が通常のことになった。
―― 「柱の空間」を引き違い建具で仕切る建築様式を確認したのは、京都女子大学で教えられていた時ですね? 学生たちと一緒に、岐阜県白川郷や宮崎県の椎葉村で共同調査をされた?
「はい。白川村の祭礼では村の家々を巡る行事があり、庭に面した引き戸を取り払い、屋内で神事をします。また、椎葉村では家の中の家具や建具を全部屋外に出して神楽をしています。その時、目的や人数によって空間の広さを障子や襖の取り外しで調整します」
日本では、文化行事や神事の他に冠婚葬祭などさまざまな儀式を自宅で執り行ってきた。そのために、引き違い建具で家の中の空間を拡大したり縮小したりすることが是非とも必要だったのだ。
―― もう一つ、日本の民家住宅の特徴として、囲炉裏のある居間とその奥の座敷とで建築デザインが違っている、という点がありますね?
「秋田市の旧奈良家住宅の例で言えば、炉のある「おえい」と奥の「中座敷」は建築デザインが違います。一つの建物に二つの建築デザインが同居しているわけです」
炉のある「おえい」は土間に面している。そこでは梁(はり)が何本も剥き出しで頭の上を横切っており、高さ50センチもある差鴨居(さしがもい)が巡らされ、竈(かまど)の煙が上に抜けるように天井も高い。木造建築の力強さを示す構造になっている。
その奥の「中座敷」は、書院造に数寄屋造も加味した装飾性のある空間であり、高さ10センチほどの長押(なげし)が周囲に巡らされ、低い天井と鴨居の間には、格子(こうし)や透かし彫りの欄間(らんま)があったりする。
「『おえい』は炉を囲む家の中の秩序を反映する空間、『中座敷』床の間を頂点とする社会秩序の空間、その違いをデザインの違いで強調しているのです」
―― 終章に、フランスの地理学者の言葉があります。日本の住まいは、北側に壁があり、床下の風も畳で覆っているから、結局夏の暑さにも冬の寒さにも対応してない、と。この意味は?
「日本の住まいは風土への対応で誕生したものではない、ということです。日本固有の住まいの歴史の結果ですからね。でも、それはそれで、日本の民家には「壁の空間」と「柱の空間」が独特のやり方で集大成されている、とも言えます。いずれにしてもユニークですね」
戦後の日本には、庶民の住宅として団地も広がった。2DKの団地は、洋風のダイニングキッチンに和室が二つ。こうした新しいタイプの民家はどう考えるべきか?
「団地建築の耐用年数は数十年。100年、200年いやそれ以上住み続ける伝統的な日本の民家と、そもそもの発想が違います。私が本書でたどってきたのは、日本の伝統的な民家の成り立ちの歴史です」
―― ところで引き違い建具ですが、日本独自の発明ということですが、日本以外に使っている例はあるのでしょうか?
「フランスに留学した学生に聞いたところ、学生寮で使用例があるそうです。ただまともな家はみんな壁・回転式の窓・扉を使っている、と(笑)」
