世の中には、心身の痛い人と痛くない人がいる。両者はなかなかわかりあえない。
そこで、かつては健康、今は難病で痛みを抱えている著者が両者の橋渡し、相互理解に取り組んだのが『痛いところから見えるもの』(文藝春秋)である。
まずは著者の頭木さんに、自身の痛みの歴史を振り返ってもらおう。
―― 大学3年、20歳までは元気だったとか?
「ずっとサッカーやってましたからね。転んでも蹴られても平気、痛みなんて簡単に我慢できました。胃腸も丈夫だったんです」
ところが20歳で突然、潰瘍性大腸炎になった。大腸に炎症が生じ、ひどい下痢や血便が日に20回以上続き、医師から「一生治らない、働くことも無理」と宣告された。
以後、病院と自宅ベッドを往復する強制ひきこもり生活が13年間続いた。食べられるのは豆腐と半熟卵と裏ごし野菜のみ、体重が26キロ減少した。だが33歳の時に大腸を手術、病気が治ったわけではないが、普通に近い暮らしが可能になった。
しかし、それも15年間のみだった。48歳で今度は癒着性腸閉塞を発症したのだ。小腸がねじれて詰まってしまう病気。七転八倒する痛みに苦しみ、これまでに3回入院をした。
―― 腸閉塞は、宮古島で暮らしていた頃にパパイヤを食べ過ぎたため、とありますが?
「植物繊維が豊富なものを食べ過ぎると腸閉塞になりやすいそうです。パパイヤは大好きで、宮古島時代によく食べましたから」
―― では現在は、2つの病気を抱えている?
「大腸炎と腸閉塞、大きいのは2つですね。下痢になるのか腸がねじれるか、その日によって違うし、予測もできません」
「痛みの絆」
―― 食事療法は何かしていますか?
「今は特に食事制限はありませんが、(腸閉塞で)腸が詰まる時は“水を飲んでも詰まる”と言われています」
ただ、腸閉塞は痛みの初期に歩くと痛みが軽減することがわかった。従って現在は、四季と昼夜を問わず、痛みのたびに1~2時間あてもなく歩く(または踏み台を昇降する)生活を繰り返している、とのこと。
痛みは個人的なものなので、話しても理解してもらえない。それどころか、繰り返し訴えると嫌がられ、人が去って行く。痛みは孤独を伴うのだ。だからこそ、稀に痛みをわかってもらえると「痛みの絆」が生まれる。
―― 6人部屋に入院中にそんな人に会った?
「はい。以前同部屋だった人で気が合わなかったんですが、その人が退院して見舞いに来た。知り合いが僕しかいないので少し話したんですが、僕が麻酔ミスで痛かった話をすると、急に彼が泣き始めた。アルコール依存症の彼も、麻酔がよく効かなかったので、痛かったんですね。そしたら僕も涙が出て、2人して一緒にオイオイ泣いたんです。それでそれまでわだかまっていたモヤモヤが晴れた気がしました」
頭木さんは世の中に自分の痛みを理解する人がいたことを知り「とても救いになった」と言う。
