2025年12月5日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2025年8月30日

生井英考 (いくい えいこう) 1954年生まれ。慶應義塾大学卒業。アメリカ研究者。2020年春まで立教大学社会学部教授、同アメリカ研究所所長。 著書に『ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の文化とイメージ』『負けた戦争の記憶――歴史のなかのヴェトナム戦争』『空の帝国 アメリカの20世紀』ほか。 訳書に『カチアートを追跡して』(ティム・オブライエン著)、『アメリカ写真を読む』(アラン・トラクテンバーグ著)ほか。

「アメリカのいちばん長い戦争」は、かつてはヴェトナム戦争(米正規軍派兵から約8年)だったが、現在はアフガン戦争(約20年)である。

 『アメリカのいちばん長い戦争』(集英社新書)は、ヴェトナム戦争からアフガン戦争へと至る経緯を追いながら、ヴェトナム戦争がアメリカ社会に与えた深刻な記憶とその広範な影響を探っていく。

 著者は、社会学者・人類学者でアメリカ研究者の生井英考(いくいえいこう)さん。ヴェトナム戦争(1965~75年、アメリカ軍撤退は73年)の頃は、生井さんの中・高校生時代に重なる。

「反戦世代より年下なので、ヴェトナム戦争はあまり身近に感じませんでした。でも、80年代に渡米して、ヴェトナム帰還兵などと知り合ううちに関心を持ち始め、87年に最初の著作『ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の変化とイメージ』を書きました。ヴェトナム戦争後のアメリカの社会・文化史と自分史を絡めました」

 著作は高い評価を得た。その後、95年にアメリカとヴェトナムは国交正常化に至ったため、関係の変化を取り込み2000年に『負けた戦争の記憶

―― 歴史のなかのヴェトナム戦争』を続編として出版した。従って本書は、3冊目のヴェトナム戦争関連本となる。

 「01年に9・11同時多発テロが起き、アフガン、イラクの対テロ戦争に発展しますが、これらもヴェトナム戦争同様に正当な戦いかどうかよくわからない。そうするとヴェトナム戦争が再び連想されるわけですね。今のアメリカ社会の混迷や分断は、その根っこを辿って行くとヴェトナム戦争に行き着くんじゃないか、と。それでもう一度初心に返るつもりで、この本を書いてみようと思いました」

 アメリカは、南北に分裂したヴェトナムの南側政権を支援する形で軍事介入し、65年以降泥沼のジャングル戦争に引き込まれた。宣戦布告はなく、目的も大義も不明、ゲリラ戦主体で敵味方の区別が難しく、参加した将兵たちの戦闘ストレスが激増した戦争だった。歴史上初めて「負けた戦争」でもあった。

「ヴェトナム戦争症候群(シンドローム)」

 本書によると、アメリカの一般国民は90年代までの約20年間、ヴェトナム戦争の話題をほとんど口にしなかった。挫折感や無力感、孤立感がそれほど大きかったのだ。いわゆる「ヴェトナム戦争症候群(シンドローム)」である。

―― 70年代後半のカーター政権では、後の社会分断に結びつくポピュリズムも始まった?

「カーターは庶民の立場で連邦政府を批判したポピュリスト。庶民的常識で社会の立て直しを図ったわけです。アメリカの政治は権力が庶民に気を使わないといけない構造なんです。トランプは現代のエリート不信を政治的手段に利用した悪性のポピュリストでしょう」

 80年代のレーガン政権では、資本寡占化の下で経済格差が拡大する一方、ヴェトナム戦争に学んだ新保守主義外交も始まった。

 その一つが国防長官ワインバーガーのドクトリンである。それは①軍事と政治の目標の一致、②戦争目的の内外への明示、③勝つ戦争のみ行う、などだ。

―― このドクトリンは、アメリカがヴェトナム戦争から得た「教訓」と呼べるのでは?

「はい。国防長官の上級顧問から大統領補佐官になったコリン・パウエルはヴェトナム戦争を若手将校という中間管理職の立場で経験してます。その苦い体験もふまえての話ですね」

―― 91年の湾岸戦争では、ブッシュ(父)政権下、そのパウエルが統合参謀本部議長として、電撃的な短期間勝利を収めますね。だからブッシュ(父)は、「ついにヴェトナム戦争症候群が拭い去られた」と言った?

「そうです。でもワインバーガー&パウエルドクトリンは長続きしなかった」

 91年にソ連が崩壊し冷戦構造が終結すると、アメリカが唯一の超大国になった。他国の同意を必要とせず「人道的介入」が可能になったのだ。


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