2025年12月5日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2025年10月26日

小谷みどり。一般社団法人シニア生活文化研究所代表理事。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て、2019年より現職。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学、自治体などで「終活」に関する講義や講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学で配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『お墓どうしたら?事典』(つちや書店)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など多数

 死生学とは、「人間は死すべき存在」を前提にした上での「生」に関する考察。

 小谷みどりさんの『〈ひとり死〉時代の死生観「一人称」の死とどう向き合うか』(朝日新聞出版)は、死生学研究30年に及ぶ著者の、集大成とも呼べる一冊である。

 序章には、子ども時代に祖父(医師)が末期がんの親戚の傍らで「人間はこうやって死んで行く、よく見ておきなさい」と言ったこと。

 学生時代のホームレス調査で「死ぬ前に親の墓参りを」と話した人がいたこと。「青年の船」で訪れたタイで、TVニュースに交通事故の遺体がそのまま映っていたこと。就職した生命保険会社のシンクタンクで、ライフプラン表に「死」の項目がなかったこと、などが並ぶ。

―― これらの体験が、執筆の動機ですか?

「いえ、序章の体験は、死に興味を持ったきっかけの一部ですね。執筆はもちろん編集者に依頼されたからですが、サラッと読める死生学の本って、そういえばありそうでなかったなぁ、と思ったこともあります」

 本書の冒頭には、死生観の考察の土台となるさまざまな統計が掲げてある。この数十年で、3世代同居が半数以上から1割以下に減り、80歳以上での死亡が男女とも少数派から多数派に転じた、などである。

変化する「家族」という枠組み

―― ちょっと前までは、葬式は近所の人々が総出で手助けをする地域社会の儀式でした。ところが、地域のつながりが薄れ、大半の人が自宅ではなく病院で死ぬようになると、葬式は葬儀業者任せで身近な家族のみが関わる、とても私的な儀式になってしまった?

「そうです。しかも、3世代同居が激減し、高齢の祖父母とも何十年も離れて暮らしていると、家族葬であっても亡くなった祖父母に親しみがなく、葬式にも出なくなったりします」

 驚くのは、親族や親戚との付き合いがなくなったため、「家族」と言う時、自宅で飼っている動物や昆虫は思い浮かんでも、離れて住んでいる祖父母や兄弟は「家族」の枠から除外されたりする、という指摘である。

 そうした社会の変化に付随して、「家の墓」も少なくなり、散骨や樹木葬、共同墓や合同墓が増加。墓じまいをする人も増え、世話する人がいなくなった無縁墓も増えてきた。

―― ところで小谷さんの御主人ですが、2011年4月に突然亡くなられた?

「そうです。2人とも42歳の時ですね」

 本書によれば、出張予定の夫が起床しないので揺り起こそうとすると、すでに死亡していた。死因がわからず、東京都監察医務院で行政解剖され、自宅に遺体が戻ってきたが、かなり乱暴な遺体処置だった。死因は結局、不明のまま。この体験が強烈で、「死ねば無になる」といっそう強く思うようになった。

―― でも、「どこかで生きているのでは」とも思っている、と書いていますよね?

「あんな突然死だったから、霊魂が天国に行ったなんてとても考えられません。で、どこか知らない所へ長期出張、と考えようとしたんですね。だけど、亡くなってもう10数年、さすがに最近は長期出張などとは思っていません。だから、夫はいなくなった、それだけでいいのではないでしょうか」

 人間は突然亡くなる。死ねば(家族や友人、知人の記憶の中では生きるが)無になる。であれば、今日を楽しく生きよう。亡くなった人の分まで、楽しく生きるのだ。そう考えた小谷さんは、講師をするシニア大学の学生たちと、2015年に「没イチの会」を立ち上げた。

「配偶者を亡くすと、女は未亡人、男は男やもめ、などと呼ばれかわいそうがられます。とんでもないですよね。かわいそうなのは亡くなった人、残された私たちはかわいそうでも何でもない。死別した人はもっと前向きにならなくちゃ、そう思ってこの会を創りました」

「没イチの会」では、男性会員たちのファッションショーを開催したり、会員同士でニューヨーク旅行をしたり、会員の家でバーベキューを開いたりとさまざまな活動を展開中だ。1年前か
らは、ひとり暮らし高齢者のためのシニア食堂を開き、無償でランチを提供している。


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