2025年12月5日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2025年10月26日

「あの世はあってもなくてもどちらでもいい」

「私自身は宗教を信じていません。だけど信じたい人は信じればいいと思います。あの世はあってもなくてもどちらでもいい。生き残った人が納得できればそれでいいんです」

 死の恐怖とは、死んで行く過程への恐怖、と言われる。統計で見ると、全体の6割近くの人が「病気が悪化するにつれて、痛み苦しみがあるのでは」と考えている。また5人に1人が、「死後、自分はどうなるのか、どこへ行くのか」と恐怖を覚えている。

 これに対し小谷さんは、1番目の恐怖に対しては「医療の緩和処置がある」と解答。2番目の恐怖に対しては、「既存の宗教に頼ってもいいし、生前墓の準備をしてもいい」として「いずれにせよ、不安が軽減するならそのような措置をとればいい」と答える。

―― 痛みの緩和に医療処置、と言われますが、目下のところ専門の緩和ケア病棟を利用できるのはエイズとがんの患者のみですよね?

「専門病棟はそうですが、実際にはペインクリニックはたくさんありますし、一般病院でも痛みの緩和はやっています。それより日本人の特性で痛みを我慢する人が多いことが問題です。痛い時は、もっと大声で“痛い!”と叫ぶ。心身の痛みは人間の尊厳に直結しますからね。ただでさえ鎮痛剤使用量が欧米の4分の1ほどなんだから、日本人はもっと叫べ、と」

 小谷さんの死生観は、合理的でありながら非常にユニーク。そこで、会話を重ねるうちに、いろいろな質問が湧いてきた。

―― エンディングノートは書きましたか? 介護や死後の希望、万一の連絡先などは?

「はい、書きました。家族や親しい友人にすでに知らせています」

―― ご自分の墓は、どうするんですか?

「私は、墓も葬式もいりません。あと30年生きるとして、その頃はもう墓を作る文化もなくなっているのでは?」

―― 安楽死についてはどう思いますか?

「私は安楽死の団体に、もう会員登録しています。もしも自分が認知症になったら、スイスに行って安楽死するのが希望です。認知症で生きる人はそれでけっこうですけど、私は自分で自分がわからなくなるのは絶対イヤ。自分の尊厳は自分で守りたい、と」

―― 最期に「ああ幸せだった」と思えればいい、とのことですが、その時寝たきりであれば、あるいは意識がなかったら?

「幸せ、は瞬間のことではなく、終末期全般のことです。動けなくなり、下の世話をすべて人任せになっても、首から上がしっかりしていれば、生きていたいと思う。私という意識がなければ、生きていたくはありません」

 小谷さんは、多くの人が漠然と憧れている長寿・健康には反対の立場だと言う。

「長寿・健康はあくまで手段です、目的にはなりません。何かやりたいことがあるから、健康で長生きしたい。そうでなければ、120歳までただ生きていても、虚しいだけです。違いますか?」

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