友部さん本人に聞くと「まず詩がすっと出てきて、曲はあとで、寝ているときにできたのかなあ。いまも歌うと全然古びないなと思う。ずっとついてくる曲かな」と言う。
最後のフレーズは「距離の置き方の正しさばかりが意識されて、わかり合うことが二の次になっているっていう意味なんだけどね」。かと言って、わかり合えば偏見も軋轢もとけて争いも起きないはずじゃないか! と、いきんでいるわけでもない。
ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスは死ぬ直前に「人間関係こそがすべての基本だと、想像できるだろうか」と言い残した。が、友部さんの場合、地面から30センチほど浮いたまま町をさまよう宇宙人が、何も訴えず、人々の顔を静かにのぞき込んでいるような雰囲気がある。
「友達は一人もいない」
「実際、彼は人との距離を縮めたいなんて気はないですから」。友部さんの身近にいる人の証言だ。「だいたい友達がひとりもいないんだから」
<ぼくも、君も〜>と歌いはするが、「悩み事を打ち明けたり、愚痴をこぼしたりという相手がいない」らしい。
友部さんは人に好かれる。詩人の故谷川俊太郎をはじめ、小室等や矢野顕子ら同世代から若い世代の歌手にまで広く慕われ、よく語られる。一時は、井上陽水が友部さんをメジャーにしようと、一緒につくった曲を何人かのアイドルに歌わせたことがあった。が、「売れてもいいし、売れなくてもいい」という友部さんは乗り気がなく、早々につまずいた。
友達は多そうだが、「寄ってくる人はいるけど、自分を曝け出したり、本心を語れるような友達は一人もいない」そうだ。
そんな話をぶつけると本人は「相談したいことも、語るような本心もないし、自分には高田渡みたいに信者もいないし」と言う。
高田渡との関係
映画には、フォークの世界の同志とも言える歌手、高田渡の話が出てくる。彼の遺骨の一部を、フォークソングの聖地、ワシントン・スクエア・パークに埋めた話だ。
<君が倒れたって聞いてから/朝の電話が怖かった>。埋めた木のかたわらで友部さんが歌う曲「朝の電話」に、友部さんの言葉が重なる。
「ぼくはぴったりと彼(高田渡)に寄り添ったことはない。彼といてもいつも遠くから眺めていた。ぼくは歌の木の花の部分を担当したかったのかもしれない。ぼくが感じていた彼との距離は、一つの木の花と根っこの距離だったのではないだろうか」
「同じ木なのに、花は根っこの気持ちがわからないときもあった」
インタビューでその距離感を聞くと、友部さんはこう話す。
「渡(わたる)って周りに人を集める人で、カリスマ性があるでしょ。で、周りが面倒をみちゃう人だったんだけど、僕は取り巻きに入りたくないから、遠くから様子を見てて。でも、関心はありました。彼は何を考えてるんだろうって。問題もある人だったけど、気になる人だったよね」
わざわざ会いに行くことはなかったが、一度、詩のCDをプロデュースするため、高田渡に自作の詩を朗読してもらったことがあった。「井の頭公園のベンチでよんでもらったら、彼、アガっちゃって全然できないんです。昼すぎから夕方になってもできなくて、結局、彼の家に行って、少し飲んでようやくできて。意外でしたね。僕は日記みたいな詩でいいと思うんだけど、そんなんじゃだめだと詩を追求しようとしていた人なんですよ」
