「自分でもよくわからない」
映画に友部さんのこんな言葉が出てくる。
「生きていると時間が経っていないような気がするのに……。う〜ん、生きていると、かえって時間が……実感できない」
意味を聞くと、「う〜ん、謎ですね」と笑う。「これは監督の伊勢さんが切り取った言葉だから、自分でもよくわからない。自分でも聞くたびに考えちゃうんです。伊勢さんはいまと自分が一番わからないって言ってますから、そんな意味なのか」
「生きていると」と言う以上、それ以外の時間があるということか。死んでいると? でもそれはきっと違う。頭に「普通の人間として」と入れてみると少しわかる。普通の人間として生きていると……。やはり、友部さんは宇宙人なのか。
「白昼夢みたいなことを思って、白昼夢みたいなことを書いているだけだから。だいたい、パソコンのオンはできても、いまだにオフのしかたを知らない人ですよ。拡張子って言葉を知ったのもつい最近ですから」。身近な人の証言である。
父は建築会社勤務で、幼いころから転校ばかりしていた。中学のとき、名古屋の社宅の敷地に散らばっていた、父の会社の廃材と遊ぶのが好きだった。
<子供の頃のことを思い出したくないのは、喘息だったからかもしれません。小児喘息でした。だけどそれは病気というよりも、ぼくの世の中への関心の薄さからくる息苦しさによるものだったような気もします>(05年のエッセイ「ポロンポロン」より、以下同)
<中学のときはわりと勉強しました。ビートルズのおかげだったかもしれません。やればできるみたいな気持ちになれたのは。高校に入るとボブ・ディランを聞くようになって、あまり勉強はしなくなりました。何をしてもむだじゃないか、っていわれているような気がして? いや、そうではなくて、自分で歌を作ったりすることに興味が湧いてきたからです>
高校を出て路上で歌い出し、半世紀以上も弾き語りを続けてきた。
<それからまだ時間はそんなにたってはいない。外見的にはずいぶん年をとったけど、それは時間をかけた年のとり方ではないように思えるのです。フルスピードで年をとろうとした、それが今のぼくのような気がします>
自分自身がわかっている人間
この言葉も謎めいている。「時間をかけた年の取り方」って何?
伊勢監督は多くの人に友部さんを感じてほしいという。「彼は自分が身についているやつだと思うんです。売れるとか有名になるという流れから距離を保ち、自分が一番歌いやすい歌を歌いたいように歌う。自分に衣を被せて大きく見せる人が多い時代、友部のように本当のことを言う、自分自身がわかっている人間の空気を、映画を通してみんなに吸い込んでほしい」
そんな熱弁を、やはり30センチ宙に浮いたまま、何もいわず眺めている。少し哀しそうな顔で。それが友部さんの不思議な存在感だ。
