政軍関係:ハンチントン的視点から
1957年に初版が出版された『軍人と国家』の執筆者のサミュエル・ハンチントンは、政軍関係におけるシビリアン・コントロールの理想形として「客観的シビリアン・コントロール」を提唱している。これは、軍の専門性と自律性を高めることで、軍は進んで政治によるコントロールに従うという概念である。
一方でハンチントンが不健全なシビリアン・コントロールとしている「主観的シビリアン・コントロール」は、軍の専門性や自律性を低めて、政治によるコントロールを容易にするという概念である。なお、ハンチントンの言う「政治」もクラウゼヴィッツと同様に「国政」を意味すると考えられる。
自衛隊は高い専門性と自律性を有するとともに、自衛隊法で政治的活動が制限されており、「客観的シビリアン・コントロール」の下にあると言えよう。しかし、ハンチントンが「客観的シビリアン・コントロール」によって期待した軍の専門性と自律性が高まれば、進んで政治によるコントロールに従うという図式は、理論的には可能であっても実際には難しいし、時として危険でもある。
例えば政府は、年内に「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」の戦略3文書の改定を目指している。3文書は、時の政権あるいは政権政党の考え方が色濃く反映される政治的な文書であることは否めないが、同時に自衛隊の体制や運用に深く関係するため、改定には多くの専門性の高い自衛官が関わることになる。
もし、3文書が自衛官の関与無しに政治サイドのみで改訂されれば、それは自衛隊の実情を無視した実効性の乏しいものとなろう。そして、自衛隊がそれに従うように強制されれば、日本の安全保障は機能不全に陥るであろう。
つまり、ハンチントンが提唱した「客観的シビリアン・コントロール」のように、政治と軍をコントロールする側とされる側とに明瞭に区分することは難しく、グレーゾーンの存在は避けられない。これまでの政軍関係では、政治の側がグレーゾーン内での軍や軍人の活動について個別の事案に応じて是非を判断してきた。したがって、今回の国家斉唱事案についても、政治の側の判断が重要となる。
