2026年3月24日(火)

WEDGE SPECIAL OPINION

2026年3月24日

 小社から昨年8月に刊行した『苦悩の島・沖縄 二つの和解』──。その刊行記念トークイベントが2月14日、沖縄県那覇市のジュンク堂書店那覇店で開催された。

 著者は第5代沖縄県知事の稲嶺惠一氏と読売新聞編集委員の飯塚恵子氏。飯塚氏は1998年から2年間、那覇に駐在し、稲嶺県政下において九州・沖縄サミットを取材した経験を持つ。本書は、読売新聞全国版で、2024年5月22日から7月8日までの計32回連載され、稲嶺氏の半生を記録した回顧録「時代の証言者─苦悩の島 和を求めて」を全面加筆するとともに、戦後80年を迎えるにあたり、沖縄が抱えてきた苦悩とわだかまりについて、本土の視点から飯塚氏の考えをまとめたもので、二部構成からなる。

 トークイベントでは、本書に込めた両氏の思いや沖縄サミットの舞台裏、昨今の沖縄をめぐる諸情勢、沖縄とアメリカ、そして沖縄と本土の「二つの和解」をどのように進めていくべきかを語り合ってもらった。

 司会は月刊『Wedge』編集長の大城慶吾が務めた。

大城(以下、──)本題に入る前に、2月8日に行われた衆院選における自民党の歴史的大勝に対する見解は。

稲嶺 政界引退から20年が過ぎているので個人的な見解になるが、この間、選挙結果を見ていて思うことがある。それは、沖縄が徐々に「本土化されている」ということだ。

 例えば、2009年に政権交代を果たした民主党の時代、本土に比べて、そのブームは沖縄ではワンテンポ遅れてやってきた。ところが、昨年の参院選では、参政党が沖縄で12万票も獲得した。これは従来では見られない現象だった。

 背景には、情報収集のあり方を変えたSNSの存在が大きく、多くの若者が政治参加することによって起こったものである。

 今回の衆院選での「高市ブーム」もある意味で同様だった。世論調査の結果を見ると、県内でも約7割もの人が高市早苗首相を支持している。憲政史上初の女性首相として「ガラスの天井」を破ったことが高く評価されたこともあるだろうが、世界の潮流として、「強い指導者」を求める傾向が強くなりつつある中で、日本人も同様に、「新たな指導者像を求めた」ということなのかもしれない。

稲嶺惠一 第5代沖縄県知事(現・株式会社りゅうせき参与)。中国・大連市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。いすゞ自動車を経て、琉球石油(現・りゅうせき)入社、同社社長、会長、沖縄経済同友会代表幹事、沖縄県経営者協会会長、沖縄懇話会代表幹事、沖縄セルラー電話社長、日本トランスオーシャン航空会長を歴任。

飯塚 昨年10月頃から政界ではまさに激動が続き、4カ月間で世の中は様変わりした。特に、野党第一党の立憲民主党と公明党が中道改革連合を結党したことには衝撃を受けた。

 また、それを聞いて真っ先に思ったのが沖縄のことだった。新党が、大きな争点である米軍普天間飛行場の移設問題をどう考えるのかなど、即座に、一番影響を受けるのは沖縄なのではないかと思った。今回の選挙結果がこれから沖縄にどのような影響を与えるのかというのは私にとっても重要な取材テーマになる。稲嶺さんにも引き続きご知見を伺いたいと思う次第である。

飯塚恵子 東京都生まれ。読売新聞記者として、永田町、霞が関、沖縄から見た日本政治と、ワシントン、ロンドンなどから見た国際政治を取材。政治部次長、ロンドン特派員、米ブルッキングス研究所客員研究員、アメリカ総局長、国際部長などを歴任。上智大学外国語学部卒業。米フレッチャー・スクール法律外交修士修了。

「時代の変化」が
沖縄にもたらしたもの

──本土と沖縄が全く同じ情報を即座に共有できるようになったことも含め、こうした「時代の変化」をどう捉えているか。

稲嶺 沖縄では、地元紙の『琉球新報』『沖縄タイムス』と一緒に全国紙の朝刊として配達されるのは、現地で印刷している『日本経済新聞』のみである。『読売新聞』はじめ、他の新聞はその日の午後に届くため、発行部数は必然的に少ない。

 つまり、他の都道府県と比べて、本土紙の影響を受けにくいという面がある。

 しかし、SNSの時代はそうはいかない。個人が知りたい情報を選び、情報は瞬時に伝播していく。若い人たちの情報伝達の流れは従来とは比べものにならないほど速くなっている。

 時代の変化という観点からもう一つ挙げたいことがある。本土復帰後に「ウチナーンチュ(沖縄人)の概念は何だ?」と聞かれることがあった。その時私は「(沖縄人+沖縄県人)÷2だ」と答えていた。沖縄県人とは日本国の沖縄県の人のこと。1967年に『カクテル・パーティー』で沖縄出身の作家として初めて芥川賞を受賞した作家の大城立裕さんも「稲嶺さん、その表現で結構だ」と言ってくれた。

 ところがある時、関東沖縄経営者協会の仲松健雄会長(当時)が「稲嶺さん、最近の人は違うよ。うちの娘は、東京生まれの東京育ちだけど、誰に聞かれていなくても、『私は沖縄よ』と言って歩くんだ」と話していた。その度に「羨ましい」とか「私も行ってみたい」とか言われるので、なお得意になっている。

 昔は沖縄に対する微妙な差別意識があったが、2000年の主要国首脳会議「九州・沖縄サミット(以下、沖縄サミット)」を契機に状況は一変した。この沖縄に世界の首脳が集まり、歌手の安室奈美恵さんが「NEVER END」を歌い、東京にいるウチナーンチュも自らの故郷に誇りを持てるようになった。

2000年7月22日、九州・沖縄サミットのメイン会場「万国津梁館」で記念写真に納まる各国首脳。沖縄県民に誇りをもたらす契機となった(REUTERS/AFLO)

 もちろん、年代層によってウチナーンチュとしての意識や感覚は異なり、単純化できるものではないが、時代は大きく変化したように思う。


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