2026年3月24日(火)

WEDGE SPECIAL OPINION

2026年3月24日

沖縄の歴史に刻まれた出来事
人と人とのつながりの大切さ

 先ほど、「唯一無二」のサミットと申し上げた。

 サミットはそれまでなら、会場に入って会議が終われば帰国するというのが通例であった。だが、沖縄サミットでは、首脳たち全員がそれぞれに県民と触れ合った。ドイツのシュレーダー首相は宮古島を訪れ、イギリスのブレア首相は北谷町の小中学生たちとふれあい、カナダのクレティエン首相は南風原町のスケート場に行き子どもたちとアイスホッケー大会で交流した。

 ロシアのプーチン大統領は、サミット後に開いた柔道大会で中学生に合図して投げられたりもした。当時は心の優しい面も感じられたが、20年以上の独裁を経て、全く人が変わってしまった。

具志川市の柔道場を訪れ、ワイシャツ姿で投げられたプーチン大統領(REUTERS/AFLO)

 そして、アメリカのクリントン大統領は「平和の礎」を訪問した。炎天下、汗だくになりながら沖縄戦の遺族の方々の話を真剣に聞いてくれて、「平和の火」の前で黙とうもささげた。米軍基地問題について、私も含めて、県民に初めて直接語りかけることになった。

 大統領の演説は全体的に真摯なものであり、翌8月の琉球新報の県民世論調査によれば、大統領のスピーチを、75.2%の県民が肯定的に評価した。

 しかし、実はその前段で、クリントン大統領が来た時に基地問題にどう言及するかを巡って、日本の外務省から「クリントンは沖縄に来ないかも」とまで警告されるほどの紆余曲折があった。ただ、アメリカはどこまでも「民主主義の国」だった。その地域の民衆によって選ばれた知事がその地域の民衆の思いを語っているのだからと要望を受け入れてくれたのだ。

 結果、サミットは大成功だった。小渕さんは沖縄の恩人であり、世界のウチナーンチュはじめ、日本中の沖縄県人が喜んだ。

飯塚 私も稲嶺さんと同感である。沖縄にとって非常に重要なイベントで、歴史に刻まれる出来事だった。あのサミットには、何らかの「天の采配」があったとしか思えない宿命を感じる。サミット開催時は森喜朗首相だったが、小渕首相と稲嶺知事という二人がそろっていたからこそ実現し得た、運命的な巡り合わせだった。「人と人とのつながり」が本当に大事であるということを痛感する。

 そのつながりが化学反応を起こして、あのサミットが現実のものとなり、沖縄の歴史になっているということに私は感慨を覚える。これこそが、本連載と、この本をまとめた原動力となった。

 「アメリカ大統領と沖縄県知事が一対一で話をする」という異例のセッティングも含めて、稲嶺さんは「一知事」としての枠を超越していたように思う。また、クリントン氏のスピーチの内容やその分析については本書に収録したところだが、彼自身、本土復帰後初めて沖縄に降り立つアメリカの大統領として、あのサミットの意味を大変よく理解していたと感じる。

 サミットの約2週間前、アメリカの国務省担当者が大統領宛てに提出した資料の中には、「この慰霊碑への訪問は、日米関係における最もつらく悲しい出来事の一つに終止符を打ち、すべての沖縄県民がより前向きになるための土台を築く一助となりうる」という指摘があったことも分かった。包み隠さずにいえば、基地問題に対する沖縄県民の反発や緊張を少しでも和らげたいという現実的な戦略目標まで彼らは考えていた。

 その中で沖縄戦と基地負担という、沖縄県民が抱える「過去」と「現在」の二つの問題に、アメリカとしていかに応えるか、関係の改善に腐心していたことは間違いない。この沖縄訪問に関する資料はデジタルの「クリントン大統領図書館」でも公開されている。日米関係を考える意味でも、あのサミットは非常に意義深いものであった。


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