戦争や米国統治を経たあとも、沖縄は米軍基地という負担に苦悩し続けてきた。
それは県民を分断し、日本政府も揺るがしてきた重大な問題である。
にもかかわらず、本土が寄せる関心は十分とは言えない。
変革が進む南西防衛の現場、米国第一のトランプ米政権下での台湾海峡の行方、
「中国最前線」としての宿命を背負った沖縄――。
*本記事は、米国と沖縄、本土と沖縄という「二つの和解」を多角的に読み解いた書籍『苦悩の島・沖縄 二つの和解』から抜粋・編集しています。
沖縄と韓国のアナロジー
日本は1910年、日韓併合条約を韓国に調印させ、朝鮮総督府を置いて植民地支配を行った。それは、1945年の日本の敗戦まで35年間続いた。
その後、日韓両政府は1965年に日韓基本条約を結び、国交を正常化した。請求権問題は、この時に締結された日韓請求権・経済協力協定で「完全かつ最終的な解決」を定めている。しかし、韓国はその後も、政権によっては賠償や謝罪を求める動きを見せ、しばしば両国関係は緊張してきた。
両国は1998年、当時の小渕首相と金大中(キム・デジュン)大統領が署名した「日韓共同宣言」によって、関係改善への節目を刻んだ。小渕氏は日本の過去の植民地支配への「痛切な反省と心からのおわび」を述べ、金氏は「両国が過去の不幸な歴史を乗り越え、未来志向的な関係の発展に互いに努力することが時代の要請」と表明。韓国は日本の大衆文化の段階的開放を約束し、日韓の交流拡大のきっかけとなった。
しかし、その後も、歴史問題は、折に触れて韓国側で批判が起き、左派系の人々を中心に反日運動が高まる状態が続いている。
誤解を恐れずにいえば、私はかねて、「日本と沖縄の関係」は、「日本と韓国の関係」に似た要素がある、と感じてきた。
日本政府に対する根強い不信、間欠泉のように繰り返し噴き上がる歴史問題への反発と憤り、トップの政治信条や時の政治情勢によって大きく振れる基本姿勢──。
むろん、相当ざっくりとした遠目の視点である。私はジャーナリストなので、沖縄についても、韓国・朝鮮半島についても、歴史家のような精緻な比較はできない。が、そのうえであえて、日本と沖縄、日本と韓国、それぞれに「和解」の土壌が広がる共通項はあるのだろうか、と思いをめぐらせる。今年は日韓国交正常化60年でもある。やはり虚心にそれぞれが歴史を知り、理解する、ということからしか始まらない、と考える。
