「植民地支配」との関係
なぜ沖縄と韓国についてそのように考えるのか――それは「琉球処分」をめぐる沖縄の言論空間を見ていくと、日本が第2次世界大戦に突入する中で拡大させた植民地支配の「最初の一歩」だった、とする主張にたどりつくからである。
本土では一般的には、日本の植民地支配は戦前の朝鮮半島や台湾、南洋諸島などの地域から始まり、戦時中の占領地として、中国大陸や東南アジアの各地を加えていった、という経緯がおおむね定説だ。
しかし、沖縄では、特に中央政府に批判的な人々やメディアの間で、「琉球処分」は日本の植民地支配の始まりだった、とする解釈が今もしばしば聞かれる。つまり、「琉球処分」では、琉球王国という日本とは別の国家が日本に「併合」され、「植民地」にされた、という主張である。
例えば、琉球処分の1879年から140年の節目として地元紙の琉球新報が掲げた社説(2019年4月4日付)には、「琉球処分」を「琉球併合」としたうえで、こうした指摘がある。
「琉球併合後の沖縄は、日米の軍事的なとりでにされ続けている点では変わらない。
基地被害に苦しむ住民の意思を無視し、抵抗を抑え付け、沖縄を国防の道具のように扱う様もそうだ。それはもはや植民地主義と言うほかない。廃琉置県の布告は、それによる支配の始まりと言うこともできる。」
本土の感覚では、穏やかでないと感じざるをえない。140年前の出来事が、ストレートに現代の怒りにつながる主張となっている。その根底には、「沖縄はいつから日本だったのか」という問いかけが存在する。
「琉球処分」は、沖縄と本土の歴史認識に大きなギャップが表れる基幹テーマといえる。本土側ではおそらく大半の人が、まずはそのギャップの存在を知ることから始めないといけないだろう。
「琉球王国」「琉球処分」に関する質問は、国会でもこれまでしばしば質問主意書が出され、政府が答弁書を国会に提出している。
例えば、2006年11月には、当時、新党大地に所属していた鈴木宗男衆院議員(元官房副長官)が「政府は、1868年に元号が明治になった時点で、琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか」という内容の質問書を国会に提出している。
これに対し、当時の安倍首相は以下のような答弁書を国会に提出した。
「沖縄については、いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」
つまり、琉球処分の時点で、琉球王国はすでに日本に帰属していた、という見解だ。これは「確かである」と明記しており、そうであれば「併合」や「植民地」化といった議論の余地はない。同様の質問は、その後も何度か出されているが、政府は一貫してこの答弁を繰り返している。
実際に、琉球処分(1879年)と、韓国併合(1910年)は、どのような点が重なり、どう違うのだろうか。
まず、「処分」と「併合」の経緯である。
琉球処分では、琉球王国が「廃藩置県」の一環として「沖縄県」となった。日本政府の今の見解では、この時点で沖縄は日本の一部だった、としている。これに対し、沖縄側では、日本に「併合」された、との主張がある。国際的には、当時弱体化していた清朝が抗議したが、日清間で交渉が行われ、清が受け入れた。
一方、韓国の場合は、「日韓併合条約」という国際条約で、独立国家として併合された。韓国内には強い異論もあったが、西洋列強はこれを承認した。韓国併合の方が、より法的に明確な手段で進んだといえる。
次に、住民の法的地位である。
沖縄県は「内地」として、日本の都道府県制に編入された。日本の地方自治制度の根幹である「府県制・郡制」は、本土から約30年遅れ、1920年に導入された。県民は、1945年からの米統治時代も、法的には日本国籍を持ち続けたが、パスポートは、日本国民とは異なる独自の「渡航証明書」を持たされた。また、戦後、日本国政への参政権を得られたのは、米統治下の1970年(復帰の2年前)で、11月に初めて衆参両院選が沖縄だけで行われた。
韓国では、特別立法に基づき、いわゆる「外地」の扱いで軍政的支配が敷かれた。日本国の「外地」として、地元民には日本国籍が付与された。ただ、日本本国での選挙には原則として参加できないなど、参政権は大きく制限された。
つまり沖縄と韓国では、いずれも日本国籍は形式的に与えられたが、政治参加は規制されていた。さらに沖縄では、敗戦後に米統治が続き、日本国政への参政権が大幅に遅れる結果となった。
沖縄の場合、法的には正式な「植民地」とは言いがたいが、「琉球処分」も「韓国併合」も、それぞれの歴史的経緯をめぐって現地の反発が根強く残るベースとなっている。沖縄の場合は国内での「差別感」、韓国の場合は、植民地時代の「不当な扱い」といった形で不満が折にふれて顕在化するといえる。

