参院選に惨敗しながら、首相を続投する石破茂氏。その理由の一つに原爆忌への出席も挙げていただけに、8月6日に広島で開かれた平和祈念式典における石破氏の「首相あいさつ」を注目して聞いていた。
あいさつを後から文章で読めば、自らが2年前に平和記念資料館を再訪問した時に感じた痛切な思いや、「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた歌人・正田篠枝さんのリアルな歌を詠みあげるなど、追悼の辞としてしっかりとした内容だったと思う。
だが、石破氏の前に登壇した二人の小学生が、手にした原稿に目を落とすことなく、「平和への誓い」をはっきりと声に出していたのに比べ、ほぼ下を向いたままの首相は、言葉に抑揚はなく、原稿を読んでいるだけにしか聞こえなかった。核廃絶への思いを、自分の言葉で原稿など見ずに発信する、それを期待しただけに見事に裏切られた。
もちろん原稿棒読みだから戦後80年の談話が不要というのではない。理由はいくつもある。
戦後70年談話の意味
理由の一つは、2015年8月14日に閣議決定された安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話で、日本としての歴史認識をきちんと提示できたと思うからだ。
「侵略」の客観的事実を認め、「植民地支配」について「永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と明記。さらに談話は、国内外で犠牲になった人々に対し、「深く頭を垂れ、痛惜の念を表す」と記している。これは「心からのお詫び」に相当する表現にほかならない。
