2025年12月5日(金)

21世紀の安全保障論

2025年8月12日

 そして何よりも多くの国民の心に響いたのは、「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」との言葉であり、これをもって大戦への反省という問題に区切りをつけたと思う。

 『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)や『宿命の子・安倍晋三政権クロニクル』(文芸春秋)などを読めば、談話への思いや発出するまでの葛藤、米豪など各国首脳らとのやり取りなどが鮮明に浮かび上がってくる。区切りをつけるために安倍首相は、有識者による懇談会(略称:21世紀構想懇談会)を設け、半年近くにわたって何度も議論を重ねてきた。

『宿命の子 上 安倍晋三政権クロニクル』船橋洋一

 そうした準備もなく、戦後80年だから談話もしくは自分の意見を発したいと考えているとすれば自惚れ以外の何物でもない。どんな形であれ、首相という立場で言葉を発すれば、「個人の見解であり、政府の主張ではない」では済まされないからだ。

首相答弁への危惧

 8月に入って石破首相は衆参の予算委員会などで、自らの見解発出時期について、「どの時期が適当なのか、中身についてもよく考えたい」と発言するなど、日本が降伏文書に調印した9月2日を候補日にしているかのような答弁が目につく。

 しかし、これこそやってはいけない禁じ手だ。米英など連合国の間では、9月2日は「V-J Day」(対日戦勝記念日)であるが、日本は天皇が国民に戦争の終結を伝えた玉音放送の発信日である8月15日を終戦の日とし、翌日から日本軍は戦闘を停止している。

 こうした経緯に反して、ソ連(現・ロシア)は8月15日以降も樺太や千島列島、中国東北部(満州)などで非武装の日本人市民らを殺戮し、国後や択捉などの北方領土を占領するに至っている。仮に石破首相が8月15日の終戦ではなく、降伏文書に調印した9月2日に見解を発出するようなことがあれば、それまでは戦争が続いていたとするロシアの対日戦の正統性を容認、補強することにもなりかねない。


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