トランプ大統領の登場によって米国は、自国のことしか考えない「ならず者国家」になってしまったと嘆かれている。ウクライナ戦争の停戦への介入やタイ・カンボジアの衝突をやめさせる努力など、平和に向けた積極的動きも最近見せているが、ノーベル平和賞狙いとみる向きもあり、基本的にはアメリカ・ファーストであって、米国は変わってしまったというのである。
ただ、歴史を遡ると、米国が最近になって初めて変化したわけでないことがわかる。実は、今日われわれがイメージする、自由主義や民主主義を国是として、その自由で開かれた国際秩序維持のために世界に貢献し邁進するという米国像は、この戦後80年に限ったものといえるかもしれない。
戦前に相次いでいた「アメリカ・ファースト」
遡ってみれば、そのことを示す例には枚挙にいとまがない。独立間もない19世紀初頭、マディソン大統領は、米国内陸部の生産物の4割近くが通過するミシシッピ河口の安全を確保するため、当時西フロリダと呼ばれたスペインの領土における米国への併合運動を煽り、住民から助けを求められるという形にして、そこの領有を宣言してしまった。
19世紀末には、マッキンリー大統領がハワイを領有し、また当時弱体化していたスペインからその植民地フィリピンを奪い、キューバを保護国化した。セオドア・ルーズベルト大統領は、運河建設の必要性から、コロンビアの国内の独立運動を煽り、パナマを無理やり独立させてそこに運河を建設した。このように米国は自国の都合で無理をごり押ししてきた国でもある。
20世紀転換期に、米国は工業生産高が世界一となり、急速に発展を続けた。そうした中、第二次世界大戦で、米国のライバルとなりそうな多くの国々が戦場となり、国土の多くが荒廃した。アジアや欧州の交戦国の多くは、国土が焦土と化したのである。
大戦が終わってみると、米国だけは本土が無傷だっただけでなく、むしろ大戦のおかげで大恐慌を克服することができ、かえって戦前よりも工業力を大きく発展させ、戦争が終わってみれば戦前より豊かになっていたのであった。第二次世界大戦が終結した時点で、ただでさえ以前から世界一の工業国であった米国が、相対的にみればより一層圧倒的な存在となっていたのである。
アメリカが世界に貢献していた理由
戦争中に米国を指導し戦後秩序の基盤を作り上げたフランクリン・ルーズベルト大統領は、「世界を民主主義のために平和にする」という尊敬するウィルソン大統領が掲げ、しかし成し遂げられなかった目標のため、国際機関を作り上げるという目標を現実のものとしようとした。そして、それは米国主導の国際連合を形成し、国際通貨基金(IMF)体制を作り上げることで結実し、国際平和へ貢献し、開放的国際秩序の構築には大きく貢献した。
戦争終結後も、ソ連が旧敵国の国民に対して、シベリア抑留のように、厳しく償いを求めたのに対し、米国のそれは対照的であった。旧敵国であっても食料を与えるなど人道的に接した。ヨーロッパで逃げ惑った枢軸国側の人々は、米ソどちらの側に降伏したかでその後の運命が大きく変わったのである。
