2025年12月5日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2025年8月6日

 欧州での戦争孤児には米国は主導して、食料や衣料をふんだんに与え、祖国への帰還を助けた。その後も、ケネディ政権期に発足した「平和部隊」では、ボランティアが途上国への技術供与を行ってきたし、同じ時期に創設された米国国際開発庁(USAID)は、世界60以上の国々で人道支援、教育発展、民主主義強化、多文化共生社会の実現などの分野で資金提供活動を展開してきた。また、米国は世界最大の政府開発援助(ODA)供与国でもあってきた。

 ただ、そのような米国の鷹揚な対応の背景には、閉じた世界は争いを生み、また憎しみは憎しみしか生まないという第二次世界大戦の反省に加えて、何よりそのような援助をしてもびくともしない当時の米国の計り知れない豊かさがあった。

 加えて、米国が作り上げた開かれた自由貿易体制は、圧倒的工業力を誇っていた当時の米国にとって一番得になる制度でもあった。他の国々が、工場もふくめて国土が焦土と化した一方で、米国は、優れた製品を大量に生産する力をもっていた。当時、工業生産で米国にかなう国はなかったため、自由貿易体制は米国のための体制でもあった。

批判の矛先となった日本

 その後、米国が優位な当時の現状に胡坐をかいているうちに、日本やドイツなどが米国の援助もあり復興を遂げ、優れた製品を輸出するようになった。自分たちが気前よくしてやっていたら、いままで「施してやっていた」国々がいつの間にか調子よく繁栄している一方で、米国民の一部が貧しさにあえぐようになってしまったという見方もできよう。

 その原因の一つは、米国政府が、国内の製造業を守るのではなく、世界中の安くて良いものを低関税で輸入することで、米国民が豊かな生活を享受することができるという方向に進んだことにもある。その過程で国内の製造業が没落し、米国社会における格差が拡大していくことには目をつぶったのである。

 米国の製造業が衰え、国内の格差がもはや無視できないまでに拡大しきったとき、その不満をくみ取る存在としてトランプが現れた。そして、その矛先が向けられた一番手が日本であった。

 宣戦布告なきまま真珠湾を攻撃し、戦後飢えていたのを多くの援助でもって助けてやったにもかかわらず、貿易戦争でやり返してきた国ととらえられていた。米国の支援の下、独立を果たした日本は、安くて品質の良い、繊維製品、カラーテレビ、そして自動車や半導体をつくり、それらは次々と米国市場を席巻していった。

 米国政府は抗議したものの、あまり強くは出られなかった。米国の貿易赤字の原因となった日本にとって助けとなったのは、戦後80年の前半は世界が冷戦構造であったことである。共産圏との対抗上、米国は必要以上に西側諸国に「気前よく」ふるまわなければならなかった。特に冷戦が熱戦と化したアジアにおける自由主義の橋頭保、日本に対してはその必要が大きかった。


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