スペイン覇権への挑戦
「英米」時代の到来
スペイン帝国の解体がもたらした覇権の空白は、次のパクスが形成されるまで続いた。覇権挑戦期において、英蘭戦争、仏蘭戦争、そして英仏戦争など、英仏蘭による三つ巴の争いが繰り広げられた。これらの中で当初最も富を有していたのは、日本を含む世界各地に巨大な貿易網を張り巡らせていたオランダであった。しかし、同国は通商には熱心であったものの、その莫大な利益の軍事力への投資には消極的であったために、経済力に偏重した歪な大国となった。
他方、英国は海軍力に莫大な資金を惜しみなく投じたことで、世界の海を支配する唯一無二の海洋国家としての地位を確立した。逆に、フランスは陸軍を熱心に育成し、欧州において優越的な地位を有する大陸国家となった。
この英仏両国のライバル関係に一定の決着をつけたのが、オーストリア継承戦争(1740~48年)および七年戦争(56~63年)であったが、ナポレオン戦争による英国の勝利が次のパクスへの道を切り開いた。そして、産業革命によって「世界の工場」となった英国は、強力な経済力と軍事力の双方を手に入れたことで覇権挑戦期を制し、見事に覇権移行を成し遂げた。こうして「パクス・ブリタニカ」は、1815年からほぼ1世紀にわたり、スペインに続く第二の「日の沈まない帝国」を維持することになったのである。
しかし、このパクスも永続することはなく、米国やドイツといった新興国の出現によって徐々に影響力を失った。加えて、多額の戦費を要した第二次ボーア戦争(1899~1902年)によって英国の経済力は消耗し、気づけば20世紀初頭の時点で、いくつかの経済指標において米国はすでに英国を上回っていた。この英国のパクスに終止符を打ったのが、第一次世界大戦である。
だが、1917年に米国が参戦したのを契機に、英米が手を携えて国際秩序を維持するといった世界史においても珍しい時代が始まった。
英米両国が是とする国際秩序に対する不満が噴出する重要な転機となったのは世界大恐慌だが、これを境に国際社会は再び覇権挑戦期に突入する。この時代の主たる挑戦者は、日独伊であった。いずれも近代国家への仲間入りが他の欧州列強より遅れたため、世界の規範はすでに先行する列強によって確立されていた。
しかし、米日による高関税政策によって世界貿易体制は動揺し、各国が自国の利益を優先するようになったことで、日独伊は既存の秩序では自国の国益は担保されないと考え、覇権挑戦に踏み切った。これが第二次世界大戦への導火線となったものの、この挑戦は挫折した。他方、その過程で人類はそれまで見たことのない、凄惨かつ残虐な未曽有の被害をもたらす戦争を経験しなければならなかった。
太平洋戦争が終結すると、英米関係は本質的に変化した。二国による国際秩序の維持は世界史上稀有であり、持続性を欠くものであった。事実、帝国の復活を志向する英国に対し、米国は帝国の時代と決別しようとした。
最終的に両国はスエズ危機で対立し、英国が退いたことで米国の圧倒的優位が示され、「パクス・アメリカーナ」は成熟期を迎える。これがいわゆる「スエズ・モーメント」だ。振り返れば、第二次世界大戦後の国際秩序は、世界最大の国力を保持するに至った米国が主導して構築されたものであり、現在の国際社会もまだその影響下にある。
歴史は韻を踏む。それゆえ、永続する覇権は存在しない。戦後81年間にわたり営々と築き上げられてきた米国主導の国際秩序は、いま大きく揺らいでいる。

