2026年6月16日(火)

日本主導で平和の再構築を

2026年6月16日

国際政治の大転換時代
今こそ日本はリアリズムを

 むろん、善意で周辺国を守るわけではない。価値を共有する国家が敵対勢力の支配下に入れば、日本の安全保障環境は著しく悪化し、確実に国益が損なわれるからこそ周辺国の防衛に寄与するのだ。

 これはリアリズムに基づく合理的な行動であるが、最近の日本ではリアリズムよりもイデオロギーに偏った議論が目立つ。例えば、感情に基づく嫌韓意識から同国との防衛協力に反対したり、現実性を欠いた核武装論を唱えたりする主張が多く聞かれるが、これらは国益に資するものではない。国家の存続を可能とするのはリアリズムであり、イデオロギーではない。

 加えて、日本の教育は平和の尊さを教える一方で、安全保障や戦争の現実について十分に教えているとは言い難い。例えば、現場を知る自衛官の知見に触れる機会も限られており、軍事に関する議論はとかく敬遠されがちである。

 これらの状況を打開するために、教育を通じて「平和は力によって支えられている」という現実を確かに伝えることが肝要だ。こうしたリアリズムを共有する国民が増えれば、憲法9条の改正についても、現実の安全保障環境を踏まえた議論に直結しよう。

 ローマ帝国の格言に「Si vis pacem, para bellum(平和を欲するなら、戦争に備えよ)」というのがある。

 日本にとって平和の維持が死活的に重要である以上、強固な抑止力の保持は欠かせない。そうすることで、日本は17世紀末のオランダのような歪な大国にならずに、衰退を回避できよう。加えて、自衛隊の位置付けや実戦経験の問題など、安全保障の実効性に関わる論点についても、一般国民の間で現実的かつ活発な議論が求められる。

 リアリズムを備えた国民であれば、こうした問題を必然的に提起すると同時に、その是正を強く求めるはずである。日本の将来を見据えるならば、安全保障に対する認識の転換は避けて通れない課題であるのはいうまでもない。

 そうした中、先日、制服を着用した陸上自衛官が自民党の党大会で国家を歌唱したという報道があった。この行為を「法律的に問題はない」と擁護した高市早苗首相の発言を聞いて、思わずにおられなかった──一国のトップ・リーダーが軍事に対する一般的な常識を持ち合わせていないのだから、国民にそれを求めるのはなおさら難しいかもしれない。これが他の成熟した民主主義国家で起きたならば(そもそも起きないが)、ただごとでは済まされない。

 しかし、この件は日本ではきっと有耶無耶にされよう。国防を担う責務を帯びる自衛官だが、特別職国家公務員であって真の職業軍人ではないから自民党は問題視しなかったのか。ともあれ、この国の安全保障上のリアリズムの欠如の深さを痛感し、日本の将来を憂う今日この頃だ。

 他方、日本史を振り返れば、危機が差し迫った際に、機敏かつ能動的に行動して国難を無事に乗り切った事例は幾度となくある。これを思えば、100年に一度といわれる国際政治の大転換時代において、リアリズムに覚醒した日本が、従来のミドル・パワー意識から脱却し、「責任ある大国」として周辺の同志国との防衛連携を率先して強化しつつ、「力による平和」をもって地域の平和維持に主体的に貢献する日は間違いなく近づきつつあろう。

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Wedge 2026年6月号より
国際秩序、瓦解の危機 日本主導で平和の再構築を
国際秩序、瓦解の危機 日本主導で平和の再構築を

ある写真集を手元に置き、時折ページをめくりながら、この原稿を書いている。『ヘルソン―ミサイルの降る夜に』(f/8)─。フォトジャーナリスト・佐々木康氏がロシアの侵攻下にあるウクライナへ二度赴き、撮影した作品だ。 佐々木氏は4月下旬、取材で知り合ったウクライナの兵士に「平和とは何か」を尋ねたところ、こう返されたという。「戦争の間の一時的な休息だ」 さらに、兵士はこう語った。「私たちの本性は、人間が絶えず平和に暮らすことを許さなかった。戦争は繰り返し起こる。私たちの世代は、第二次世界大戦後の長い(あるいは短い)平和な時代を生きることができて幸せだった。今、その時代は終わりを迎えようとしている」 誰しも、この言葉を信じたくはない。だが、この世界から戦争をなくすことがいかに困難であるかも分かっている。そうした〝大いなる矛盾〟の中で、私たちは現下の情勢をどう受け止め、どう考えるべきなのか。そして、日本(日本人)は何ができるのか─。


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