ケネディ・ジュニアのベストセラー
ファウチ批判を語るうえで欠かせないのが、現在は保健福祉長官の座にあるロバート・F・ケネディ・ジュニア氏の存在である。名門ケネディ家の一員でありながら、反ワクチン運動で知られた異色の人物だ。
その彼が、ファウチ批判の「教典」ともいうべき著書を出版したのは、パンデミックさなかの21年11月だった。タイトルは『The Real Anthony Fauci: Bill Gates, Big Pharma, and the Global War on Democracy and Public Health(日本語版:The Real Anthony Fauci 人類を裏切った男』。本の売れ行きは、桁外れだった。ニューヨーク・タイムズをはじめ主要な書評紙のベストセラー第1位を獲得し、発行部数は100万部を超えた。
本の主張はこうだ。「米国の良心の医師」という世間の評価は虚像にすぎず、ファウチ氏はビル・ゲイツや製薬業界と結託し、安価な治療薬をしりぞけて、儲かるワクチンや新薬を推し進めてきた張本人だという筋書きである。
この本に対しては、専門家から厳しい評価が下されている。都合のよいデータだけを選び取る「チェリー・ピッキング」を行い、誤解や間違いが多いという指摘で、ある専門サイトは「陰謀論の見本市」と評し、著名な書評は「物議を醸す一冊」と位置づけた。当のファウチ氏自身は、この本を「残念な代物」と一蹴し、著者を「精神的に問題のある人物」と突き放している。
この物語には見事な「円環」が隠れている。かつてファウチ氏を糾弾する本を書いた活動家が、いまや保健福祉省という巨大官庁のトップに座り、その省がファウチ氏の私的な日記を政府サーバーから掘り起こして公開し、弾劾する側に回った。議会召喚劇は、まさにこの因縁の延長線上で起きたのである。
ワクチン推奨の撤回という「もう一つの決着」
ケネディ長官はファウチ氏の過去をほじくり返すだけでなく、彼の政策そのものを塗り替えつつある。そして、この動きこそがファウチ騒動の半分を構成している。それが、ワクチン接種の制限である。
長官就任からほどない25年5月、彼は子どもや妊婦に対する新型コロナワクチンの推奨を中止すると発表した。この決定は、専門家委員会に諮ることも、疾病対策センター(CDC)に事前に知らせることもなく、いわばトップダウンで行われた。続いて彼は、CDCに助言をする専門家委員会(ACIP)の委員17人を全員解任し、自らの選んだ顔ぶれに差し替えた。
26年1月、今度は子ども向けのワクチン定期接種の推奨リストを大幅に絞り込む方針を打ち出した。接種はあくまで個人の選択の問題であるというのが、ケネディ長官の年来の持論であった。しかし、医学界や公衆衛生分野からは強い反対が起こっている。
小児科医は、この変更が防げるはずの重症や死亡を招きかねないと警告する。司法もまた、この動きに待ったをかけた。26年3月、連邦地裁は、接種リストの変更、委員の差し替えを差し止める決定を下したのである。
ここで、話は一周してつながる。思い出してほしい。ファウチ氏への批判の柱は、「彼が安価な治療をしりぞけ、ワクチンを過剰に推し進めた」というものだった。
ケネディ氏が著書の中で最も力を込めて書いたのも、まさにこの点である。つまり、ファウチ氏の日記を掘り起こして訴追する「過去の清算」と、ワクチン接種を制限する「未来の政策転換」とは、実は一つの世界観から生まれた、コインの裏表なのだ。
そう捉えると、この騒動の本当の姿は、単なる一老医師の名誉をめぐる争いではなく、米国の公衆衛生政策の根幹を、どちらの世界観が握るのか、という争いであることが見えてくる。
「これは政治的迫害だ」
当のファウチ氏は、一連の動きを純然たる政治的迫害だと断じ、弁護人は「憲法上の権利を行使したことへの制裁を狙った、粗雑な政治的パフォーマンス」と切り捨てた。では、ファウチ氏は本当に刑事被告人になるのか。法律の専門家の見立ては、かなり懐疑的である。
大きな壁が、バイデン前大統領が退任前に与えた「先制的恩赦」だ。これは14年から25年1月19日までの行為を対象としており、パンデミック期の大半をカバーする。ただし、この期間を外れる行為、たとえば最近の公聴会での証言拒否や、州レベルの犯罪については、訴追の余地が残るとされる。実際、オクラホマ、ルイジアナ、フロリダ、アラバマといった州が、独自に捜査へ動き出している。
