2026年8月19日(水)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2026年8月19日

 手続きの面にも問題がある。今回の告発は、本来なら必要とされる上院本会議の採決を経ずに、委員会から直接司法省へ送られた。仮に訴追しても、長期の法廷闘争を招くだけに終わる公算が大きいというのが多くの専門家の見方である。

「尾身さん」はなぜ被告席に立たないのか

 日本にもまた、パンデミックの「顔」となった専門家がいた。新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長を務めた尾身茂氏である。安倍晋三、菅義偉と歴代の総理大臣の記者会見にたびたび同席し、国民に語りかけた。ファウチ氏が「米国の顔」なら、尾身氏はまぎれもなく「日本の顔」だった。

 そして尾身氏もまた、批判と無縁ではなかった。感染が長期化するにつれ、当初の好意的な空気は薄れ、「前のめり」との声が上がった。総理会見に並ぶ姿から、「尾身さんたちが何でも決めている」という印象が広がったのである。

 より具体的な批判もあった。尾身氏が理事長を務めていた独立行政法人・地域医療機能推進機構をめぐる「幽霊病床」問題である。多額の補助金を受けながら、系列病院のコロナ患者受け入れが低調だったため、週刊誌は「ぼったくり」とまで書き立てた。専門家対策の「顔」自身の利益相反を疑う点では、米国の構図と通じるところがある。

 ところが、日本の「尾身バッシング」は大事にはならなかった。この大きな違いを見て、「日本の方が健全」と単純に喜ぶことはできない。皮肉なことに、尾身氏自身が訴えているのは、日本ではコロナの「総括ができていない」点だ。誰も真剣に検証せず、誰も裁かれない。

 米国は科学者を被告席へ引きずり出し、日本は熱狂も追及も、そして冷静な反省すらも、忘却のかなたへ流し去ろうとしている。いわば、魔女狩りと記憶喪失。二つの国は、正反対の失敗の形を見せているのかもしれない。

それでも「決着」は遠い

 パンデミックは、米国の政治が国家的危機に対処するには機能不全に陥っている事実をあらわにしたのだが、今回の騒動は、その亀裂が癒えるどころか、いっそう深まっていることを示している。一人の科学者の評価が、事実の検証ではなく、支持政党によって正反対に振れてしまう。

 そんな社会では、新型コロナという100年に一度の公衆衛生上の危機をめぐる冷静な「総括」は、むしろ遠のいていくばかりかもしれない。

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