まず、1つ目の長期経済停滞ですが、第1次大戦による戦争景気とその後の反動不況は、約20年前のバブル崩壊とその後の20年ととてもよく似ているのではないかと思うのです。今はアベノミクスで経済が上向きになっていますが、ここ20年間は長期停滞が基調になっています。第1次大戦後も、経済は上向きにはなることもありましたけれども、長期停滞が基調でした。
2つ目の格差ですが、そうした経済状況の中で、初めて社会的な格差社会の問題が意識されだします。第1次大戦前の日本では、事実上の身分制がまだ残っており、四民平等とは言いながらも実際にそう簡単に人生を逆転することはできなかったですし、それが当たり前の社会でした。しかし、大戦後には、格差は是正されるべきであるという意識が芽生えるようになります。、生活が苦しい人たちに対し国は社会政策で手を差し伸べなくては、となるんですね。
――本書に出てくる「夫の死亡の際の火葬料が払えず、死体を放置した」という当時のエピソードは、現在のニュースで流れていても違和感はないですね。
井上:そうなんですよね。現在は、100年前と比べれば、どう考えても福祉社会になっているはずなんですが、事例としては同じようなことが起こっているんです。つまり、それくらい社会の進歩はゆっくりで、同じような問題が繰り返さているのかなと思います。
――当時の政府は、救済事業としてどんな政策を打ったのでしょうか?
井上:格差が意識され始めた頃は、「貧しいのは努力しないから」「一人ひとりがもっと頑張らなければいけない」といった社会の風潮がありました。今でも似たような言い回しを聞く時がありますよね。
その頃は、まだ納税額で選挙権が決まる制限選挙が行われていて、納税額の多い資本家や地主に有利な政策を推し進めるはずなのですが、格差は一人ひとりの努力の問題ではなく、社会になにか問題があるとして当時の政友会や憲政会(民政党)もこの問題の解決に乗り出しました。また、社会主義運動は治安維持法で非合法化されていましたが、思想としては無視できないものとなりました。そうした声に押され、政府も救済事業をはじめました。
まずは、格差の実態を調べるために、今でいう民生委員、当時の方面委員制度が設立されました。実態を調べてみると、地方の過疎化と都市への一極集中が貧しさをもたらしていたとわかりました。これは100年後の今と同じ構造ですね。