「20ng/mL」は安全基準ではない――数字が独り歩きするとき
日本のメディアやSNSは、20ng/mLという血中濃度を「米国の安全基準」であるかのように扱い、「基準値越え」「この値を超えたら危険」などと記述している。しかしこれは、米国科学アカデミーの意図を二重三重に取り違えている。
「前提を守れば不安軽減の助けになる数字」が、前提を外された瞬間に「情報による害」の道具へ変わる典型例と言える。どこが誤りなのか、整理する。
第1に、これは「安全か危険か」を分ける境界ではなく、「医師が検査を考える」目安である。第2に、20ng/mLは、米国の住民の9%がすでに超えている値である。それを「異常」「危険」と呼ぶのは、統計の読み違えでしかない。第3に、そもそもこの数字は「基準」ですらない。 これは医師向けの「手引き」であって、法的な規制値でも、政府が定めた安全基準でもない。「米国の安全基準」という言い方は、まったくの誤解である。
なぜこの取り違えが害になるのか。「20ng/mLを超えたら危険」という誤った線引きは、米国住民の1割が持つ数字を「危険情報」に変える。「あなたは危険の線を越えた」という根拠がない断定こそが、不安による健康被害を引き起こす引き金になるのだ。
情報は人を守る力であると同時に、人を傷つける力でもある。プラセボが副反応を起こし、汚染の事実が不安を生むことで健康被害につながる。全てを「知らせること」が「中立の行為」ではないことを教えている。だからといって、知らせないことが正しいわけではない。
必要なのは、伝え方の配慮である。リスクを正確に、しかし余分な不安を足さずに伝える。分からないことは隠さずに認める。そして、リスクとともに「その対策」を知らせる。それが、情報による健康被害を防ぎながら、人々の知る権利と健康の両方を守る道である。

