──「文明史好き」の高校三年生は、ご両親との約束を果たされるわけですね。
小長谷氏:はい。京都大学に西南アジア史の教室があるということで、文学部を受けて約束を果たしました。ところが西南アジア史は新しい学科で、たとえて言えば天井は高いけど横幅が狭い。わたしは家出系で文明史志向だから、横の広がりがないとなかなかなじめない。それで、いちばん自由そうな地理学科へ進んだんです。誰かがレールを敷いてくれるのではなく、自分でレールを敷いて進んでいく広い世界を目指していました。
研究者になろうという意識は、四回生でモンゴルに留学するまではなかったですね。なにも限定しないまま過ごしてきて……。二回生のとき、たまたま大阪で行われたモンゴル語の夏期講座(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所主催)に参加して、一か月ほど集中的に研修を受けた。そして1979年、文部省のモンゴル留学試験に合格して、日本人女性として初めてモンゴルへ留学することになりました。
わたしは言語を学ぶことをきっかけに、文化人類学者の道へ進んだのです。書き記されていることと、自分の見聞きしたこととの違いを発見し、その一点において、研究をしたいとつよく思ったんです。
──そのきっかけともなった一冊として『牧夫フランチェスコの一日』(1976年初版)をあげられました。これは牧畜に生きるイタリアの山村の民族誌・生活誌ですね。
小長谷氏:京都大学人文科学研究所で所長も務められた谷泰(たに・ゆたか)先生の著作で、搾乳の季節を中心に、人と家畜の関係を濃密に描き、かつ論理的考察の萌芽も含まれているものです。搾乳の起源というのは、人類が、狩猟という動物を殺すことから、動物と共生する道を発明した瞬間なんです。『牧夫フランチェスコの一日』をきっかけに人類学を目指した研究者は少なくないですよ。
生活世界に対する研究者のまなざし──。そこに生きる人々の暮らしを観察しながら、その背景と意味を深く読みとっていく。何かが気になったら、気になっていることをやめない。「深読み」こそ、研究の面白さですね。生活者はなにも解説しないけれど、彼らの何気ない仕草に、歴史の痕跡を読みとっていくわけですね。
――モンゴルを実際に見て、このような書物とも出会って、関心の火花が散ったという感じでしょうか。
小長谷氏:モンゴルへ初めて行ったとき、わたしたちにそっくりな人たちがあまりに多いのと、見た目は似ているけれどもその性質が大きく違うのがとにかく面白かったんです。そっくり度と性質の大きなギャップ、そこがまさに文化の違いなのです。人類史としての共通点とともに、文化圏による相違点をつよく意識するようになりました。
モンゴルは社会体制も違っていたし、日本のような良さはないけれど、日本にはない良さがあったんです。