2014年9月3日の内閣改造前まで、自民党には大臣適齢期の議員が60人以上いるから大変だという議論が盛んだった。大臣適齢期とは、当選回数が衆議院議員で5回以上、参議院議員で3回以上の議員のことだ。当時、自民党国会議員のうち、衆院当選5回以上、参院当選3回以上で未入閣の議員は59人いた。衆参両院を経験した議員を加えれば、さらに多くなる(「入閣待望組に焦りの色」読売新聞14年8月31日)。
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これまで、首相の任期は2年、大臣は毎年交代していた。大臣の数は18人。衆参で3回または5回以上当選回数を重ねた議員は117人だから、1年未満で大臣のポストを回していけば、6.5年(117÷18)で、条件を満たすすべての議員を大臣にすることは可能だった。
しかし、自民党が野党であった時代(1993年~94年、09年~12年)があったので、大臣適齢期の議員が溜まってしまった。さらに、総理権限の強化、派閥の影響力低下によって、総理が、当選序列によらない閣僚の抜擢採用を行うようになった。当選回数によって大臣の椅子を得ることは、厳しいものとなっている。
昔からそうではなかった
当選回数によって大臣になるという習慣は、田中角栄内閣以降に確立されたもので、佐藤栄作内閣以前には、当選回数を重ねても大臣になれない議員は多数いた(佐藤内閣は、この点では過渡期の内閣)。当選回数で大臣になれるという風習は、70年代から90年代の初期まで続いたシステムにすぎない。
大臣がしょっちゅう変われば、政治家ではなく役人が主導権を持つようになるのは当然である。もちろん、その時代でも、沖縄返還、日中国交回復、社会保障費の抑制など、政治主導で進められた政策は数多い。とすると、少数の議員が長期に一つの大臣をするようになったのは、役人に任せておけない仕事が増えたこともあるだろう。