2024年11月23日(土)

ベストセラーで読むアメリカ

2009年8月5日

 She was turned back to look at a stickball game in an alley she passed when she was knocked to the ground. It was as if a huge, dense, overwhelming wall of heat had raced down the street and knocked her and everyone around her to the dirt. (中略)It was probably hours later that she regained consciousness. Her clothes had been ripped away and her chest and arms were covered with loose charred skin. Her hair was burned away in the back, since she had turned her head to watch the children when the force of the first atomic bomb used in warfare hit her body. (p41-p42)

 「通り過ぎた路地で(こどもたちがしていた)野球をみるため振り返ったとき、彼女は地面にたたきつけられた。あたかも、巨大で分厚く強烈な熱気の壁が道を走り抜け、彼女とその回りのみんなを、土くれのなかになぎ倒したかのようだった。(中略)おそらく、意識をとり戻したのは数時間後だった。着ていたものははぎ取られ、黒こげになりはがれた皮膚が、胸や腕にまとわりついていた。後頭部の髪が焼けて消えていた。戦争で初めて使われた原子爆弾の衝撃波が彼女の体を押し倒したとき、こどもたちを見るために彼女が後ろを振り返っていたからだ」

 被爆して傷を負い、芸者として生きる道を閉ざされたとしこは、広島から近い岩国にある米軍キャンプに住むアメリカ軍人の家族たちに、日本舞踊などを教えて生活費を稼ぐ道を選ぶ。こうして、当時まだ9歳だったエリザベスのもとに、三味線を持ったとしこが現れたのだ。

 エリザベスは、としこの浴衣の襟元からのぞく傷跡に気づき目を離せなくなるが、としこはそ知らぬふりで威厳を保ったまま泰然自若としていた。

米軍で生計を立てる女性被爆者

 In our living room, she showed little reaction or emotion at all. Perhaps it was her training, perhaps it was her nature,or perhaps it was her acceptance that it was now her life, teaching the children of an American military pilot in 1958 the skills she had learned and, because of another American military pilot in 1945, she could never use. (p45)

 「我が家のリビングルームで、彼女はおとなしく、ほとんど感情をあらわにすることはなかった。ことによると、鍛錬のたまものだっただったのか、もともとそういう性格だったのか、あるいは、自分の人生をあるがままに受け入れていたからかもしれない。1945年にアメリカ軍の別のパイロットのせいで生かせなくなった自分の芸を、1958年にアメリカ軍のパイロットの子供たちに教えるという自分の人生のめぐりあわせを」

 本書ではとしこ自身が語る言葉は直接引用されていない。また、当時9歳だったエリザベスがどのようにいつ、としこの被爆体験を聞いたのかも本書を読む限りでは分からない。としこの生の声はなく、あくまでアメリカ人であるエリザベスの視点から被爆女性の当時の姿が語られるだけに、より一層、原爆が一人の女性の人生を変えた悲惨さと、それを生き抜く気高い日本人女性の姿が浮かび上がる。

 しかし、このような形で、日本の被爆の現実を知るアメリカ人がいるとは、これまで不勉強だった評者は想像したことがなかった。エリザベスは当時、広島に行ったときのことを次のようにも記す。


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