サックス先生といえば、脳神経科医として臨床に携わりながら、『レナードの朝』など12冊の医学エッセイを著した作家である。個人的には『色のない島へ――脳神経科医のミクロネシア探訪記』が好きだが、彼の著作はいずれも、サックス自身の体験と、患者との対話を、温厚な語り口と科学的な視点でつむいだヒューマンドラマでもある。
本書でも、さまざまな人びとがサックス先生に心を開き、しまいこんでいた幻覚の体験を打ち明ける。
サックス自身も、幼少期からの片頭痛前兆(ジグザグが中世の要塞に似ているので、要塞スペクトルとも呼ばれる)や、薬物による幻覚体験を赤裸々に語っている。
サックスが若い頃はまだ薬物に寛容な時代で、薬物が脳におよぼす影響を実体験しようと、試したのだという。神経科医が自らを実験台にした幻覚の観察記録は、なかなか興味深い。
「人間のありようの根幹を伝える」
<私はとても幸運なことに、診察室でも、(ある意味で診察室の延長と考えている)読者との手紙のやり取りでも、自分の経験を喜んで話してくれる人々に大勢出会ってきた。その人たちの大部分は、自分が話をすることで、幻覚というもの全体を取り巻くつらい誤解が解けてほしいと言っている。>
<だから私はこの本を、幻覚体験とそれが体験者におよぼす影響を語る、幻覚の自然経過記録、またはアンソロジーのようなものと考えている。なぜなら、幻覚の力を理解するには、当人による一人称の記録によるほかないからだ。>
サックスがそう語るように、「正気を失いつつあるのだと思われるのがいや」で隠されてきた幻覚体験が、じつは、そう暗いものでも、悲惨な前触れでもなく、「人間のありようの根幹を伝える」ものであるとわかる。
たとえば、視覚を失うなどして正常な感覚入力が途切れたために、脳が懸命に情報を補い、なんとかつじつまを合わせようと活発に活動する結果、生じる幻覚がある。
あるいは、洞窟の修道者にしろ、地下牢の囚人にしろ、感覚が遮断されたとき、「囚人の映画」と呼ばれる幻覚が現れる。
あるいは、片頭痛や癲癇など、脳神経の活動に不具合が生じたとき、高熱にうなされたとき、さらに、健康な人でも「目覚めと眠りのはざま」に、幻覚を体験する。
大きな精神的ショックや手足の切断手術を受けたりしたときにも、いないはずの人やペットと相対したり、失った手足をまだあるように感じたり、自分の分身を隣に見たりもする。