「ひととき」特別企画

2015年4月2日

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 最盛期には1200もの塔頭(たっちゅう)寺院があった高野山は、開創以来、度重なる災害などで宝物の数々を失くしてきた。そこで、山内の貴重な文化遺産を保存展示する施設として大正10年(1921)に有志者の寄付と金剛峯寺によって霊宝館を開設。宇治の平等院鳳凰堂を模した本館建築は、国の登録有形文化財だ。

霊宝館の両界曼荼羅図(血曼荼羅=復製)前で静慈圓館長と

 館長の静慈圓(しずかじえん)さんの案内で館内を巡るうち、西山さんがつぶやく。

 「いい建物ですね。思いがこもっている」

 空海の書、曼荼羅、仏画、仏像、仏具、また塔頭寺院で使われていた陶磁器もある。

 「高野山は、空海と嵯峨天皇の関係から始まって、それ以降も中央の権力者と結びついてきました。その時代時代の権力者が供養に来て、供養料を払う。荘園を寄贈する。また、お寺を建てて本尊を安置する。それが1000年以上続いて、文化財を築いたんですな」

 静さんは、山内にある高野山大学で長年教鞭をとっていた人だ。空海その人を研究するうちに、漢字、曼荼羅、さらに仏教学も仏像も学ぶ必要がある、とるうちに、空海の深みにはまっていったという。

 「結論から申しますとね、空海が真言密教に使った大日経と金剛頂経(こんごうちょうきょう)は、大風呂敷の思想なんですよ。何でもよろし、なんです」

 大風呂敷ですか、と西山さん。展示されている両界曼荼羅を見上げる。

 「空海流大風呂敷といえば、この曼荼羅もそうです。密教独自の宇宙観は神も仏もみな入ったごった煮です。それがまた、思想の広さ、空海の大きさになっているんです」

 難解と感じていた曼荼羅を、ぐっと身近に感じさせる静さんの大胆なる解説。2面性をもつと思っていた高野山のありようも、近視眼的なのかもしれない。

 「密教は、仏画や仏具が多く作られるのも特徴ですね。修法(しゅほう)にはそれらが欠かせません」

 つまり実用品だと西山さんは言う。

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