2024年12月12日(木)

都会に根を張る一店舗主義

2015年5月8日

オーナーは環境運動家であり、世界遺産の専門家

 オーナーの吉岡淳さんは、この店を始めるまで、日本ユネスコ協会連盟に30年勤めていた。世界遺産条約が92年、日本でも批准されると、当時事務局長だった吉岡さんは、94年5月、奈良県の東大寺で催したボブ・ディラン、ボン・ジョヴィ、エルトンジョン、ジョニ・ミッチェル、X JAPANらを招待し、世界文化遺産救済イベントを企画した。このイベントは、今もファンの間で語り草である。だが、そうして世界を巡るうちに、いつしか地元に根を這って働きたいと考えるようになった。そんな時、北海道の二風谷での世界先住民年のイベントで喜納昌吉さんに紹介されたのが、辻信一だった。その辻さんが参加していた各地にマングローブの植林を続ける日本のNPO『アクトマン』の活動を通じ、今度は、エクアドルを拠点とする環境運動家アーニャ・ライトさん中村隆市さんらとも出会う。こうして99年7月に生まれたのが、『ナマケモノ倶楽部』だった。

 「そろそろかなと思っていたので、99年12月末にユネスコを辞めた。まずは、地球に負担をかけない暮らしのイメージをどうやって伝えたらいいか、ということから小さなカフェを作って拠点にしようとなった。それも東京のど真ん中は嫌で、ちょっと都心から離れた場所だなと思っていたら、国分寺と府中の間に自転車屋の倉庫が出て、2001年5月、カフェスローを創業した。それもただフェア・トレードのコーヒーが飲めるだけじゃなくて、衣食住をテーマにした店にしたかったんです」

オーナーの吉岡淳さん。『ナマケモノ倶楽部』の活動、カフェスローでの様々なイベント、日本各地や観光、ブータンのエコツアー、ピースボートの講師などをこなしながら、世界遺産や人権問題について大学やNHK文化センターで週に5日は教鞭をとっている

 そこで内装は、辻信一さんの兄で、エコ建築に通じた大岩剛一さんが担当、自分たちで藁ブロックに珪藻土を塗って仕上げた。

 しかし、この最初の店は、二つの駅から遠く、アルバイトも遠方からの通いだったこともあり、経営がようやく安定したのは2007年、現在の場所に越してからだという。この店も元自動車修理工場の倉庫。トタンのメタリックな外観は、その名残だが、中に入れば、貝殻や小石で装飾されたキツネ色の珪藻土の壁、リサイクルで集めた多様な椅子、一枚板のテーブルが、暖かな印象を醸し出している。

 その一角には、カフェスローの兄弟会社であるスローウォーターカフェ(有)が企画・輸入しているエクアドルから仕入れたサイザル麻の水筒ポーターやチョコレート、手作りキャンドル、『ヒマラヤン・マテリアル』の麻製リュック、有機スパイス、国内の在来種米や有機のお茶なども並ぶ。また、天然酵母のパン屋や、お母さんのための洗剤や肌着などを扱う「マザリング・マーケット」も隣接し、その一角は商品の放射能測定や計測器の貸出をするNPO『いのちのための、こどもみらい放射能測定所』の拠点となっている。

(左)フェアトレードの物品が並ぶ一角。人気のリュックは『ヒマラヤンマテリアル』の麻製(右)別棟のエコ・マーケットには、震災後、食品の放射能を測定したり、測定器を貸し出すNPOも一角に入った

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