中国外交は2014年11月の中央外事工作会議と2014年3月の全国人民代表大会(全人代)を経て大きく変わったといわれている。そのキーワードは“脱ロ入米“であり、ロシアとの距離をやんわりと開きつつアメリカに接近するというものだ。この対米重視の重要なサインの一つが、1月21日に行われた李克強首相とウクライナのポロシェンコ大統領の会談であった。
会談で中国は、〈(中国は)常にウクライナの国家主権、独立、領土保全を尊重し、ウクライナが国情にかなった発展の道を歩むのを支持している〉と初めて明確に発言しポロシェンコ大統領を驚かせたのだった。
つまり、中国が外交において大きく切った舵が、北朝鮮に対する厳しい姿勢となって表れたということだ。朝鮮半島の非核化でアメリカと歩調を合わせた中国が北朝鮮に強い姿勢を貫いていることは、今回、金正恩が訪ロを断念するという過程において、より如実に反映されたと考えられている。それは金正恩の訪ロ直前の中国側の動きにも見られた。
ロシアでの習近平と金正恩の対面を阻止した
中国・王毅外相
4月6日からロシアを訪問した王毅外相は、ラブロフ外相に続いてプーチン大統領とも会談を行ったが、王毅の訪ロの目的は習近平主席が現地で金正恩と顔を合わせることを避けるためロシア側と調整することだったとされている。
2015年4月7日、『フェニックス衛星テレビ』が〈杜平 習近平のロシア訪問における焦点は中朝関係になる〉というタイトルで放送した番組のなかでキャスターの杜平は、こうはっきりと発言している。
〈中国とロシアでは、北朝鮮の核の問題に対して向き合う姿勢が必ずしも一致していないことがよく理解できます。そして、なかでも金正恩に対する態度は明らかに違っています。ですから双方が会う前には、中ロ間でこの問題に関するすり合わせをきちんとしておかなければならないのです。(中略)王毅はロシア訪問に旅立つ前、ロシアのメディアの取材を受けて、「六カ国協議への復帰」に言及している〉
金正恩が初の外国訪問先としてロシアを選んだことをロシアは当初積極的に内外に向け発表してきた。この歓迎ムードが突如「訪ロ断念」へと変わった裏には、中国の圧力があったと考えられるのだ。いつくかの中国メディアの解説によれば、中国はロシアの対ドイツ戦争勝利70周年式典で、金正恩と同席することを拒否——同じ式典に出れば会談をしないわけにはいかないため——したという。
金正恩訪ロの可能性が消えた後、一部の報道では「ロシアが北朝鮮に条件を突きつけた」との解説もあったが、構図としては中国に配慮したロシアが北朝鮮を切ったということになるのだろう。
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