この熱き人々

2015年8月6日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「『釣狐』はすみずみまできちっと型が決まっていて、そのハードルは高い。一方、『狸腹鼓』は荒削りで、型はあるけれど練れていない。口伝で習うだけでは収まりきらない。自分で創意工夫しながら作り上げていく作品なんです」

 出来上がったものを極めるのではなく、既存の枠組みの外に新たな世界を築き上げていく。とっぱが突破の心を伝えるかのような演目である。

 もともと茂山家は、狂言の家の中では自由闊達な活動で注目されてきた家柄でもある。江戸末期に生まれ、明治に活躍した二世千作は、それまで能舞台で能と一緒に上演することが当たり前だった狂言を、能楽堂の外に解き放った。慶事、法事、村の寄り合いなど人の集まるところにはどこにでも出向いて、「お豆腐狂言」と言われた。

 「江戸時代に式楽(公式行事で上演される音楽や舞踊)として幕府や藩のお抱えでサラリーマン的になっていた狂言の世界は、明治になってリストラされたようなもので、弟子を育て芸を継承するのも大変だったんだと思います。おかずに困れば豆腐、余興に困れば茂山の狂言。つまり悪口ですよね。曾祖父はそれを逆手にとって、豆腐、誠に結構、皆様に好かれるなら湯豆腐だろうと鯛と炊かれようと豆腐のほうで文句を言う筋合いはないと開き直って、町中に出て行ったようです」

ゴリラ楽の誕生

 本来の狂言の大衆性やエネルギーを取り戻した二世千作の突破の精神を色濃く受け継ぎながら、四十歳で「狸腹鼓」を披(ひら)いた後の展開を模索する。そんな千三郎に、当時京都大学教授だった山極寿一と会う機会が訪れた。

 「京都シネマという映画館で、映像とトークと音楽のコラボレーションでイベントができないかという話が持ち上がり、山極先生とご一緒することになったんです」

山極寿一教授(当時)にゴリラの動きの特徴を学ぶ

 京都大学の山極寿一といえば誰もがゴリラを連想する、ゴリラ研究の第一人者である。ゴリラをテーマに、映像と講演と狂言で構成されるイベント。千三郎に求められたのはゴリラを主人公にした創作狂言を生み出すこと。狸の先を模索していた千三郎の猿「楽」と山極のゴリラ「学」をかけて「ゴリラ楽」と命名されることになる試みは、興味深くはあるが、そう簡単なことではなかっただろうと容易に想像がつく。

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